日本後紀巻十三


日本後紀
http://applepig.idv.tw/kuon/furu/text/kouki/kouki13.htm
日本後紀巻十三、電子テキスト完成しました。
一番特筆すべきのは、桓武天皇崩御である。安殿親王は皇太子であったが、なかなか直ぐ即位しなかった。諸臣の即位勸進は十三巻後半で繰り返している。その時、大伴親王(淳和天皇)は賜姓の表を上げ、自分は帝位を就く意図はないと表明したが、安殿親王に否決された。余程に、当時宮内の厳しい情勢が見られる一巻である。


■栲幡皇女
http://blog.goo.ne.jp/kuonkizuna1601/e/4b5ec26a62ec55436fd11074a6038164

稚足姫皇女(わかたらしひめのひめみこ)


 稚足姫皇女。更名栲幡娘姫。
 雄略帝三年,阿閉臣-國見誣奏云:「栲幡姫通廬城部連-武彦,已有身矣。」武彦父-枳莒喩聞之,恐禍及家,誘殺武彦於盧城河。帝聽而案問姫。姫不能自明,且憐武彦冤死。泣血數佇,起懷神鏡,至於五十鈴河上,埋鏡而自經。
 帝使人求姫蹤跡。至河上,見虹霓似蛇。於其地,得神鏡及姫屍。令割腹而驗之。無身。枳莒喩由斯得雪子罪焉。

前賢故実』稚足姫皇女

悲劇の第五代斎王、身の潔白を証明するために自ら命を絶った方。
阿閉国見が「武彦が栲幡皇女を妊娠させた」と誣告して、雄略天皇の使者に詰問され、栲幡皇女は「こんな事、わたしく存知おりませぬ。」と返事し、当夜、神鏡を持出してそのまま失蹤した。人の居ないところ、神鏡を埋めて自殺した。使人たちは皇女を探しながら、不思議な現象が起こった。それは、五十鈴川のほとりで蛇のように立ちのぼっていた虹という恠訝の現象である。その辺を探してると、埋められた神鏡を発見した。また遠くない所に、皇女の死体が其処にあった。遺体を調べると、妊娠はドンでもない嘘だった。という哀しい話でした。
と、言いますが、虹の話はあやしいと思います。何故なら、古代日本、虹は不祥の兆と思われる。蛇のような虹は殊更、不吉な事の前兆だったり、指差すと指がゆがんだりと、忌まわしいものとされていた。万葉集では、「伊香保ろの 夜左可の堰塞に立つ虹の 顕はろまでもさ寝をさ寝てば」という和歌があります。でも、それもこの一つしかありません。これは、行けずな禁忌の恋の歌であった。雄略天皇が暴君とされますが、皇女の遺體を腹を割いて調べる事自身、虹の発生と関係あるではないかと思います。結果として、皇女は汚されていないことを証実されたとはいえ、実は栲幡皇女と武彦には許されない禁忌の恋を密かに堪えているのではないかと思う今日のこの頃です。



どころで、前賢故実を参考しながら、つい栲幡皇女を描いてみました。絵の背景にある文字は『前賢故実』ではなく、『日本書紀』からの引用文です。なお、余談になりますが、物部氏ゆかりの石上神宮はやっぱり神道の聖地であった。一般人は立ち入り禁止とされた。そのため、罪を犯す一部の人は、石上神宮に逃げ込んだ記録もあります。


菅家文草
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   夏日四絕

179 苦熱 夏日四絕第一


    未出炎蒸天地鑪 況行世路甚崎嶇 家兒不放山林去 苦熱庸材一腐儒

菅原道真菅家文草』巻第一0179


古今和歌集假名序
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  • 今の世中,色につき,人の心,花になりにけるより,あだなる歌,儚き言のみいでくれば,色好みの家に,埋れ木の人知れぬ事となりて,まめなる所には,花薄穂に出すべき事にも有らずなりにたり。
    • 當今之世,溺色華美,蒼生之心,貴艷奢淫。是以和歌之體,若浮詞雲興,猶儚語泉涌。於是今世之歌,不為有識所好。假若好色之家,中有埋木,不為人知也。其實皆落,其華孤榮,不登殿堂,更劣於薄花之穗者。
  • 其の初めを思へば,かかるべくなむあらぬ。古の世世の帝,春の花の晨,秋の月の夜ごとに,さぶらふ人人を召して,事につけつつ,歌を奉らしめ給ふ。或るは,花をそふとて,頼り無き所に惑い,或るは,月を思ふとて,導無き闇に辿れる心心を見給て,賢し,愚かなりと知ろしめしけむ。
    • 顧視和歌之肇,不當如此。古天子,每當春花之晨、秋月之夜,即詔侍臣,逢事興題,敕獻和歌。或風花於陌地之迷途,或思月於無導之暗闇。見其眾心所辿,則賢愚之性,於是相分。所以隨民之欲,擇士之才也。
  • しかあるのみに非ず。さざれ石に諭へ,筑波山に賭けて君を願ひ,悦び身に過ぎ,楽しび心に余り,富士の煙に余所へて人を恋ひ,松虫の音に友を偲び,高砂、住江の松も,相生の様に覚え,男山の昔を思ひ出でて,女郎花の一時をくねるにも,歌を言ひてぞ慰めける。
    • 非獨如此。或以細石為諭,奉祝大君之永壽。或寄筑波山陰,誓願陛下之恩澤。或喜不自勝、或樂不可支。或藉富士之煙雲,寄慕他郷之伊人。或聞松蟲之鳴,一馳憶友之偲念。觀高砂、住江之松,親長年之交好。懷想壯若斯男山之往昔,嘆恨盛若女郎花之須臾。當此之時,或吟悲、或述懷、或發憤,能慰身心者,莫宜於詠歌。
  • 又,春の晨に花の散るを見,秋の夕ふ暮れに木の葉の落つるを聞き,あるは,年毎に,鏡の影に見ゆる雪と浪とを嘆き,草の露,水の泡を見て我が身を驚き,或るは,昨日は榮えおごりて,時を失ひ世に詫び,親しかりしも疏く也,或るは,松山の浪をかけ,野中の水を汲み,秋萩の下葉を眺め,暁の鴫の羽掻きを数へ,或るは,呉竹の憂き節を人に言ひ,吉野河をひきて世中を怨みきつるに,今は,富士山も煙立たず也,長柄の橋も作る也と聞く人は,歌にのみぞ,心を慰めける。
    • 又,見春晨之散花,聞秋夕之落葉。或年年攬鏡自照,而嘆髮白之若雪、膚皺之猶浪。或見草露、水泡,而驚吾身之虚渺。或詫昨日榮華而今日失時,亦怨往日親友,今日相疏。或以松山之浪,諭情愛之盟誓。或汲野中之水,勞老人之懷舊。或眺秋萩之下葉,哀嘆隻身之獨寢。或數暁鴫掻羽,待伊人之歸來。或詠呉竹憂節,述人世之悲苦。或以吉野川河,怨紅塵之儚幻。此籌之類,見於古歌。時値今日,雖富士山之雲煙不復湧矣,長柄橋之所建不復存矣。然聞事者,唯詠和歌,能慰心性也。

只今翻訳中。中共の方は古今和歌集の中国語翻訳が出版していたが、真名序だけが載っていたらしい。



■「おーい、エーイジーっ! 早く帰ってこぉーい!」
ル・カイン1999では帰ったエイジはエイジよりパワードエイジかエイジ・ケンシロウという気がします。
刻印2000は未だ拝見していない。_| ̄|○
そういえば、短いだけど、ル・カイン1999では、
帰ったばかりのエイジとアンナの一シーンは凄く雰囲気いいでした。


■チェック
http://d.hatena.ne.jp/Mephistopheles/20060224
SKYWARD2月号が養老孟司氏の雑文を載っていて、毎日新聞には李香蘭のインタビューがあります。不勉強者の私は初めて養老孟司氏を知ったのは、押井守監督の対談です*1。其の後、時々養老孟司氏の名前をチェックしています。機会があればSKYWARD2月号の全文を確保したい所です。李香蘭は言うまでもない、満映時代のスーパースターです。昔はいいね、と言うのは、ある年を取る人の一般的考えかもしれません。別に昔は全般素晴らしいって訳じゃないが、懐かしい気持ちがあるに違いないでしょう。例えば押井守監督も、学運の時代はよかった。確かに社会は混乱していたが、人ひとりひとり「自分が国の為に何かかできる。自分の行動が国を影響できる。」と思える時代であった、と言っていた記憶があります*2


■押井監督の新作について

南北戦争が英仏の手によって「合衆国」と「連合」に分断された世界−−それから約百年後。
 北ベトナム上空を日本のレシプロ戦闘爆撃機が、空爆すべく飛行していた−−「勝てない戦争」とわかりながら−−。
 また、海上でも二隻の翔鶴級空母と一隻の護衛空母が展開し、任務を百回達成するか戦死するしかない状況の中、大量の食料を蕩尽しつつ延々と議論をしながら退屈な洋上勤務に従事していた……。
「日本が戦争を担う意味とは、似合うべき戦争とはなにか」。

もしかして『NEXT〜未来は誰のために』の名残惜しいかな



*1:参加者全員は半端者じゃないため、一筋縄で行かない異種格鬪技と言われる。

*2:とはいえ、中国語翻訳を日本語に戻すため、正確性を保証しかねます。