補給物資、万葉集試訳

■補給物資


万葉集試訳

1152 【承前,廿一十三。】
 梶之音曾 髣髴為鳴 海末通女 奧藻苅爾 舟出為等思母【一云,暮去者,梶之音為奈利。】
 楫音(かぢのおと)そ 彷彿(ほのか)にすなる 海人娘子(あまをとめ) 沖藻刈(おきつもか)りに 舟出(ふなで)すらしも【一云(またにいふ)、夕去(ゆふさ)れば、楫音(かぢのおと)す也(なり)。】
 船楫梶音聲 彷彿之間猶可聞 海人娘子矣 為刈沖藻取海幸 榜船出舟入瀛哉【一云,時值夕暮時,船梶之音猶可聞。】
佚名 1152

「彷彿(ほのか)にすなる」,「彷彿(ほのか)」乃表迷濛可見、依稀可聞之副詞。原文「髣髴」乃多用於『昭明文選』之漢語。「す」乃さ變動詞之終止形,「なり」表傳聞推定。

1153 【承前,廿一十四。】
 住吉之 名兒之濱邊爾 馬立而 玉拾之久 常不所忘
 住吉(すみのえ)の 名兒濱邊(なごのはまへ)に 馬立(うまた)てて 玉拾(たまひり)ひしく 常忘(つねわす)らえず
 墨江住吉之 名兒濱邊駐馬停 下馬而拾玉 其事其景常留心 歷久不忘存所念
佚名 1153

「名兒濱邊(なごのはまへ)」,所在未詳。
「馬立(うまた)てて」,下馬而令馬駐足。

1154 【承前,廿一十五。】
 雨者零 借廬者作 何暇爾 吾兒之鹽干爾 玉者將拾
 雨(あめ)は降(ふ)る 假廬(かりほ)は作(つく)る 何時間(いつのま)に 吾兒潮干(あごのしほひ)に 玉(たま)は拾(ひり)はむ
 為避雨零者 權設假廬以宿身 何時之間乎 身居吾兒潮干瀉 屈身拾得玉石來
佚名 1154

「假廬(かりほ)」,「假廬(かりいほ)」之略,羈旅之際,權搭用以避雨之小屋。
「吾兒潮干(あごのしほひ)」,所在未詳。蓋與1157「吾兒之海」同。

1155 【承前,廿一十六。】
 奈吳乃海之 朝開之奈凝 今日毛鴨 礒之浦迴爾 亂而將有
 名兒海(なごのうみ)の 朝明餘波(あさけのなごり) 今日(けふ)もかも 磯浦迴(いそのうらみ)に 亂(みだ)れてあるらむ
 住吉名兒海 朝明晨曦餘波者 今日亦如斯 散落磯岸浦迴間 漣漪紊亂盪漾哉
佚名 1155

「餘波(なごり)」,退潮之後,干瀉間低處之積水。或云風過之後仍起之漣漪。此為後者。
「亂(みだ)れてあるらむ」,推量用法。此概作者不在難波,而推量其景所作。

1156 【承前,廿一十七。】
 住吉之 遠里小野之 真榛以 須禮流衣乃 盛過去
 住吉(すみのえ)の 遠里小野(とほさとをの)の 真榛以(まはりも)ち 摺(す)れる衣(ころも)の 盛過徃(さかりすぎゆ)く
 墨江住吉之 遠里小野真榛生 吾以彼榛實 摺染之裳年華去 已然褪色不復華
佚名 1156

「真榛(まはり)」,蒲木科落葉高木。

1157 【承前,廿一十八。】
 時風 吹麻久不知 阿胡乃海之 朝明之鹽爾 玉藻苅奈
 時風(ときつかぜ) 吹(ふ)かまく知(し)らず 吾兒海(あごのうみ)の 朝明潮(あさけのしほ)に 玉藻刈(たまもか)りてな
 不知時風者 何時將拂濤浪至 住吉吾兒海 朝明之際潮乾時 去來採集刈玉藻
佚名 1157

「吹(ふ)かまく知(し)らず」,「吹かまく」乃「吹かむ」之く語法。或許即將吹來。
「潮(しほ)」,此云退潮,適合採集魚貝類之時間。
「玉藻刈(たまもか)りてな」,て乃完了助動詞つ之未然形。ま表意志或勸誘。

1158 【承前,廿一十九。】
 住吉之 奧津白浪 風吹者 來依留濱乎 見者淨霜
 住吉(すみのえ)の 沖白波(おきつしらなみ) 風吹(かぜふ)けば 來寄(きよ)する濱(はま)を 見(み)れば清(きよ)しも
 墨江住吉之 遠洋瀛津白浪矣 每逢風吹者 來寄緣岸滌濱邊 見之清淨心澄茢
佚名 1158

「沖白波(おきつしらなみ)」,第四句「來寄(きよ)する濱(はま)を」之主語。
「來寄(きよ)する濱(はま)を」,濱多用來他動詞「寄(きよ)す」。

1159 【承前,廿一二十。】
 住吉之 岸之松根 打曝 緣來浪之 音之清羅
 住吉(すみのえ)の 岸松(きしのまつ)が根(ね) 打曝(うちさら)し 寄來(よせく)る波(なみ)の 音清(おとのさや)けさ
 墨江住吉之 邊岸所生松根矣 欲為濯其根 前後緣來所寄浪 其音爽朗響清清
佚名 1159

「音清(おとのさや)けさ」,原文「音之清羅」或可訓作「音清(おとのきよ)らに」,而「羅」者或與「紗」同,故作「清(さや)けさ」。

1160 【承前,廿一廿一。】
 難波方 鹽干丹立而 見渡者 淡路嶋爾 多豆渡所見
 難波潟(なにはがた) 潮干(しほひ)に立(た)ちて 見渡(みわた)せば 淡路島(あはぢのしま)に 鶴渡(たづわた)る見(み)ゆ
 澪標難波潟 立於乾潮水涸處 放眼望四方 穗之狹別淡路島 渡鶴翔空今可見
佚名 1160

「見渡(みわた)せば」,於遼曠場所眺望之狀。

1161 羈旅作 【九十第一。】
 離家 旅西在者 秋風 寒暮丹 鴈喧度
 家離(いへざか)り 旅(たび)にしあれば 秋風(あきかぜ)の 寒夕(さむきゆふへ)に 雁鳴渡(かりなきわた)る
 離家去故鄉 隻身羈旅在外者 秋風吹瑟瑟 寒景淒涼沁骨凍 飛鴈鳴渡道蕭寂
佚名 1161

「羈旅」,行旅在外,限於五畿外之所詠。「羈」與「寄」同,與「旅」相通。
「家離(いへざか)り」,遠離故鄉。
「秋風(あきかぜ)の 寒夕(さむきゆふへ)に」,秋風有「涼」、「寒」等表現。描述秋風寒者,多有配偶死去或與戀人久隔、羈旅思鄉等心境孤獨之情狀。

1162 【承前,九十第二。】
 圓方之 湊之渚鳥 浪立也 妻唱立而 邊近著毛
 的形(まとかた)の 湊渚鳥(みなとのすどり) 波立(なみた)てや 妻呼立(つまよびた)てて 邊(へ)に近付(ちかづ)くも
 伊勢的形之 湊間洲渚之鳥者 蓋因浪湧哉 高聲呼妻喚佳偶 飛來近岸緣濱邊
佚名 1162

「湊(みなと)」,此處蓋云潟湖之開口處。
「渚鳥(すどり)」,洲中之鳥。
「波立(なみた)てや」,蓋為遠洋浪湧哉,之疑問條件詞。
「妻呼立(つまよびた)てて」,此「妻」字指配偶,非關性別。「立(た)て」有「立(た)たせ」之意。

1163 【承前,九十第三。】
 年魚市方 鹽干家良思 知多乃浦爾 朝榜舟毛 奧爾依所見
 年魚市潟(あゆちがた) 潮干(しほひ)にけらし 知多浦(したのうら)に 朝漕(あさこ)ぐ舟(ふね)も 沖(おき)に寄(よ)る見(み)ゆ
 年魚市潟矣 其今蓋是退潮時 吾見知多浦 朝榜之舟離岸遠 依於沖瀛狀可見

「潮干(しほひ)にけらし」,見眼前知多浦之景,推量遠方伊勢年魚市潟之狀。兩者相去十二公里。
「朝漕(あさこ)ぐ舟(ふね)も」,此處「漕(こ)ぐ」表過去之事例。

1164 【承前,九十第四。】
 鹽干者 共滷爾出 鳴鶴之 音遠放 礒迴為等霜
 潮干(しほふ)れば 共(とも)に潟(かた)に出(い)で 鳴鶴(なくたづ)の 聲遠放(こゑとほざか)る 磯迴(いそみ)すらしも
 每逢退潮時 一同共自潟飛去 鳴鶴聲漸遠 蓋是翱翔離此處 磯迴濱岸覓漁食
佚名 1164

「潮干(しほふ)れば」,「干/乾」於平安期為上一段動詞,而上代則屬上二段活用詞。此概於遠淺之乾荑詠述潮退至遠洋之語。
「磯迴(いそみ)すらしも」,此云鶴尋求魚貝類而遠至沖邊退潮時方現出之磯邊覓食。

1165 【承前,九十第五。】
 暮名寸爾 求食為鶴 鹽滿者 奧浪高三 己妻喚
 夕凪(ゆふなぎ)に 漁(あさり)する鶴(たづ) 潮滿(しほみ)てば 沖波高(おきなみたか)み 己(おの)が妻呼(つまよ)ぶ
 夕暮風平時 將漁求食之鶴矣 當於滿潮者 以其瀛浪湧駭高 鳴喚己妻啼聲響
佚名 1165

「漁(あさり)」,鳥類求餌之狀。

1166 【承前,九十第六。】
 古爾 有監人之 覓乍 衣丹揩牟 真野之榛原
 古(いにしへ)に 在(あり)けむ人(ひと)の 求(もと)めつつ 衣(きぬ)に摺(す)りけむ 真野榛原(まののはりはら)
 回顧曩昔時 太古之人所尋覓 欲取榛實而 摺染衣裳渲杉華 長田真野之榛原
佚名 1166

「古(いにしへ)に 在(あり)けむ人(ひと)の」,按第五句「真野榛原(まののはりはら)」,或興感於高市鄢人夫婦唱合之曲。(0280/0281)
「衣(きぬ)に摺(す)りけむ」,為衣染色之狀。

1167 【承前,九十第七。】
 朝入為等 礒爾吾見之 莫告藻乎 誰嶋之 白水郎可將苅
 漁(あさり)すと 礒(いそ)に我(わ)が見(み)し 莫告藻(なのりそ)を 何(いづれ)の島(しま)の 海人(あま)か刈(か)りけむ
 吾欲為漁獵 而於礒上之所見 莫告藻者也 其是海人白水郎 苅於何島集在此
佚名 1167

「漁(あさり)すと」,漁獵,此句主語為人。
「莫告藻(なのりそ)を」,此云與作者相愛相契,而面命勿告他人之女性。
「何(いづれ)の島(しま)の 海人(あま)か刈(か)りけむ」,相誓相愛之女,不知何時為他男所擄。本取,雖錄雜歌,類譬喻歌。

1168 【承前,九十第八。】
 今日毛可母 奧津玉藻者 白浪之 八重折之於丹 亂而將有
 今日(けふ)もかも 沖玉藻(おきつたまも)は 白波(しらなみ)の 八重折(やへを)るが上(うへ)に 亂(みだ)れてあるらむ
 今日亦如斯 沖瀛玉藻漂逐流 白浪捲驚濤 八重波折駭天湧 玉藻為之散紊亂
佚名 1168

「今日(けふ)もかも 沖玉藻(おきつたまも)は」,上句有か、や等疑問詞時,主語以が、の為通例,而此作は。
「八重折(やへを)るが上(うへ)に」,此句或云波浪近岸曲折之貌。

1169 【承前,九十第九。】
 近江之海 湖者八十 何爾加 公之舟泊 草結兼
 近江海(あふみのうみ) 湊(みなと)は八十(やそ)ち 何方(いづく)にか 君(きみ)が舟泊(ふねは)て 草結(くさむす)びけむ
 淡海近江海 湖湊遍在八十沼 以其湊且眾 不知君舟泊何方 結草假廬宿異地
佚名 1169

「湊(みなと)は八十(やそ)ち」,「湊(みなと)」本意河口,原文「湖」按說文解字則「大波」也,指廣大湖沼而言。「八十(やそ)ち」之ち與「はたち」、「みそち」同,數數添助詞。注入琵琶湖之河川,其數百餘。
「草結(くさむす)びけむ」,旅外假宿之表現。

1170 【承前,九十第十。】
 佐左浪乃 連庫山爾 雲居者 雨曾零智否 反來吾背
 樂浪(ささなみ)の 連庫山(なみくらやま)に 雲居(くもゐ)れば 雨(あめ)そ降(ふ)るちふ 歸來我(かへりこわ)が背(せ)
 碎波樂浪之 近江淡海連庫山 若逢雲居者 人云雨之將零也 還願速歸吾夫矣
佚名 1170

「雨(あめ)そ降(ふ)るちふ」,「ちふ」乃「と云(い)ふ」之略。以往討水者有以山(俗稱日和山。)雲起居,占卜天氣之昔。

1171 【承前,九十十一。】
 大御舟 竟而佐守布 高嶋之 三尾勝野之 奈伎左思所念
 大御船(おほみふね) 泊(は)てて侍(さもら)ふ 高島(たかしま)の 三尾勝野(みをのかつの)の 渚(なぎさ)し思(おも)ほゆ
 乘輿大御船 泊於此地宮人仕 近江高島之 三尾勝野汀渚矣 吾今懷古騁幽思
佚名 1171

「大御船(おほみふね)」,天皇所乘之船。
「泊(は)てて侍(さもら)ふ」,「侍(さもら)ふ」乃奉仕身分高貴者之意。此表恆常事實,故用現在形。然實緬懷近江朝之榮景。

1172 【承前,九十十二。】
 何處可 舟乘為家牟 高嶋之 香取乃浦從 己藝出來船
 何處(いづく)にか 舟乘(ふなの)りしけむ 高島(たかしま)の 香取浦(かとりのうら)ゆ 漕出來(こぎでく)る舟(ふね)
 其自何方湊 乘舟而來榜出哉 近江高島之 香取之浦湖沼間 所榜出來扁舟者

「何處(いづく)にか 舟乘(ふなの)りしけむ」,此云船員自何處乘船,進而划出。

1173 【承前,九十十三。】
 斐太人之 真木流云 爾布乃河 事者雖通 船會不通
 飛驒人(ひだひと)の 真木流(まきなが)すと云(い)ふ 丹生川(にふのかは) 言(こと)は通(かよ)へど 舟(ふね)そ通(かよ)はぬ
 人云飛驒人 巧匠所以流真木 丹生川也者 雖然言語能傳過 無奈舟船不得通
佚名 1173

「飛驒人(ひだひと)」,飛驒國以建築、工藝技術聞名、有飛驒匠之稱。按此曲之文,所述蓋與採伐木材有關。
「言(こと)は通(かよ)へど 舟(ふね)そ通(かよ)はぬ」,此喻雖得借傳言聯絡,實際卻無以晤逢。
本曲以飛驒人之立場,收於羈旅之類,而或為大和丹生地域之民謠。『新千載和歌集』收入戀歌。

1174 【承前,九十十四。】
 霰零 鹿嶋之埼乎 浪高 過而夜將行 戀敷物乎
 霰降(あられふ)り 鹿島崎(かしまのさき)を 波高(なみたか)み 過(す)ぎてや行(ゆ)かむ 戀(こひ)しき物(もの)を
 霰零雹降兮 鹿嶋之崎以浪高 不覺過而行 其觸景勝令人戀 寔欲委細觀翫矣
佚名 1174

「霰降(あられふ)り」,以霰零之音かしまし而為地名「鹿島」之枕詞。
「過(す)ぎてや行(ゆ)かむ」,「過ぐ」乃通過而不駐足。

1175 【承前,九十十五。】
 足柄乃 筥根飛超 行鶴乃 乏見者 日本之所念
 足柄(あしがら)の 箱根飛越(はこねとびこ)え 行鶴(ゆくたづ)の 羨(とも)しき見(み)れば 大和(やまと)し思(おも)ほゆ
 險路足柄之 箱根嶺上行鶴翔 吾見其姿形 羨彼身輕輙越岑 不覺騁思念大和
佚名 1175

「足柄(あしがら)の 箱根飛越(はこねとびこ)え」,鎌倉以前,箱根道以險阻為名,故一般採足柄路行之。
「羨(とも)しき」,作者見翔鶴輕越箱根山,感人之所不行而稱羨。