補給物資、万葉集試訳

■補給物資


万葉集試訳

1970 【承前,十首第五。】
 見渡者 向野邊乃 石竹之 落卷惜毛 雨莫零行年
 見渡(みわた)せば 向野邊(むかひののへ)の 撫子(なでしこ)の 散(ち)らまく惜(を)しも 雨莫降(あめなふ)りそね
 放眼望去者 向野之處所叢生 石竹撫子花 散華零落令人惜 還願此雨莫輙降
佚名 1970

「見渡(みわた)せば」,於𥶡廣之處遠望。
「撫子(なでしこ)」,秋草七種之一。而亦常詠於夏日。
「雨莫降(あめなふ)りそね」,表希求語句之「そね」,其原文書作「行年」者,亦見於0299、1319,然何以訓此則未詳根據。

1971 【承前,十首第六。】
 雨間開而 國見毛將為乎 故鄉之 花橘者 散家武可聞
 雨間明(あままあ)けて 國見(くにみ)も為(せ)むを 故鄉(ふるさと)の 花橘(はなたちばな)は 散(ち)りにけむかも
 陰雨降連綿 待𣋠之間雖心欲 登高見國中 然念故鄉花橘者 蓋遭雨摧散盡矣
佚名 1971

「雨間明(あままあ)けて」,雨間乃雨歇之間際。「明(あ)けて」為等待天晴。
「國見(くにみ)」,於登高望遠。本為農耕儀禮,而隨民俗移往歌垣,遂在往後帶有為政者行政治視察之意味。
「故鄉(ふるさと)」,此云平城遷都後之飛鳥舊京。

1972 【承前,十首第七。】
 野邊見者 瞿麦之花 咲家里 吾待秋者 近就良思母
 野邊見(のへみ)れば 撫子花(なでしこのはな) 咲(さ)きにけり 我(あ)が待秋(まつあき)は 近付(ちかづ)くらしも
 眼見野邊者 瞿麦石竹撫子花 綻放咲無惜 人云見微能知著 吾所待秋蓋近矣
佚名 1972

「撫子花(なでしこのはな)」,秋草七種。此見撫子盛開,蓋知秋之將近。

1973 【承前,十首第八。】
 吾妹子爾 相市乃花波 落不過 今咲有如 有與奴香聞
 我妹子(わぎもこ)に 楝花(あふちのはな)は 散過(ちりす)ぎず 今咲(いまさ)ける如(ごと) 有(あ)りこせぬかも
 親親吾妹子 吾苦相思久未逢 還願猶楝花 盛開不謝之所如 可得相與晤逢哉
佚名 1973

「我妹子(わぎもこ)に 楝花(あふちのはな)は」,「楝(あふち)」,花色紫,盛於五月末,與「逢(あ)ふ」雙關。
「散過(ちりす)ぎず」,「過(す)ぐ」表花或紅葉凋落之狀。
「有(あ)りこせぬかも」,「こせ」為「くれ」之意,「ぬか」表希求。

1974 【承前,十首第九。】
 春日野之 藤者散去而 何物鴨 御狩人之 折而將插頭
 春日野(かすがの)の 藤(ふぢ)は散(ち)りにて 何(なに)をかも 御狩人(みかりのひと)の 折(を)りて髻首(かざ)さむ
  奈良春日野 野間藤浪已散去 今當以何華 從駕藥獵御狩人 手折插頭將髻首
佚名 1974

「散(ち)りにて」,「散去(ちりさ)にて」之略。
「何(なに)」原文「何物」乃漢籍之俗語表現。
「御狩人(みかりのひと)」,御狩乃天皇出巡之遊獵。此云五月之藥獵。

1975 【承前,十首第十。】
 不時 玉乎曾連有 宇能花乃 五月乎待者 可久有
 時(とき)ならず 玉(たま)をそ貫(ぬ)ける 卯花(うのはな)の 五月(さつき)を待(ま)たば 久(ひさ)しくあるべみ
 雖非其時節 以為藥玉貫命縷 妍哉卯之花 若待五月端午節 時日方長可久矣
佚名 1975

「時(とき)ならず 玉(たま)をそ貫(ぬ)ける」,迫不急待早於五月藥玉之時節以前,將卯花串於長命縷上。
「卯花(うのはな)」,一般認為卯花開於五月。
「久(ひさ)しくあるべみ」,「べみ」乃推量助動詞「べし」之み句法。

1976 問答 【二首第一。】
 宇能花乃 咲落岳從 霍公鳥 鳴而沙度 公者聞津八
 卯花(うのはな)の 咲散(さきち)る岡(をか)ゆ 霍公鳥(ほととぎす) 鳴(な)きて小渡(さわた)る 君(きみ)は聞(き)きつ哉(や)
  自於卯華之 花開花落此岡邊 杜鵑霍公鳥 鳴泣翱翔大虛者 吾君可有耳聞哉
 佚名 1976

「咲散(さきち)る岡(をか)ゆ」,「ゆ」表經由點。「咲散(さきち)る」之類似表現可見1834之「咲散過ぎぬ」。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m10.htm#1834

1977 【承前,二首第二。】
 聞津八跡 君之問世流 霍公鳥 小竹野爾所沾而 從此鳴綿類
 聞(き)きつ哉(や)と 君(きみ)が問(と)はせる 霍公鳥(ほととぎす) 濕霑(しのの)に濡(ぬ)れて 此(こ)ゆ鳴渡(なきわた)る
  可曾耳聞哉 吾君如此探問者 杜鵑霍公鳥 霑濕漬濡不辭勞 經此鳴渡聲切切
 佚名 1977

「聞(き)きつ哉(や)と」,呼應前曲之「君(きみ)は聞(き)きつ哉(や)」。以其答歌亦用「君」字,蓋為男性友人間之問答。
前半類歌1563。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m08.htm#1563

1978 譬喻歌
 橘 花落里爾 通名者 山霍公鳥 將令響鴨
 橘(たちばな)の 花散(はなち)る里(さと)に 通(かよ)ひなば 山霍公鳥(やまほととぎす) 響(とよ)もさむかも
  若吾經花橘 零落舞散此里間 雖懷橘飄香 然度山霍公鳥等 蓋將騷鳴響喧囂
 佚名 1978

「花散(はなち)る里(さと)に」,此云女方所居住之鄉里。意識周圍居民之表現。『源氏物語』花散里之卷有「橘の 香懐かしみ 杜鵑 花散る里を 訪ねてぞとふ」之語。
「山霍公鳥(やまほととぎす)」,圍繞女方周遭,對兩者交往不懷好意之輭雜人等。
「響(とよ)もさむかも」,此處「響(とよ)もす」指喧囂之言行,妨礙婚姻之行為。

夏相聞
1979 寄鳥 【三首第一。】
 春之在者 酢輕成野之 霍公鳥 保等穗跡妹爾 不相來爾家里
 春去(はるさ)れば 蜾蠃(すがる)なす野(の)の 霍公鳥(ほととぎす) 殆妹(ほとほといも)に 逢(あ)はず來(き)にけり
 逢春之在者 蜾嬴音鳴那須野 杜鵑霍公鳥 殆不與吾心所繫 妹子相逢而來矣
佚名 1979

「蜾蠃(すがる)なす野(の)の」,「蜾蠃」乃「似我(じか)蜂」之古名。以其腹部第一節至第二節纖細,被作為對美女之形容詞。「なす」有「鳴らす」之意,指蜜蜂拍動翅膀所發之聲響。而「なす野(の)」有與下野國「那須野(なすの)」相關之說。
「霍公鳥(ほととぎす)」,藉類音引出「殆(ほとほと)」之序。
「殆(ほとほと)」,險將、殆要之意。差點就錯失了與心上人相會之機會,欣喜與愛人相逢之語。

1980 【承前,三首第二。】
 五月山 花橘爾 霍公鳥 隱合時爾 逢有公鴨
 五月山(さつきやま) 花橘(はなたちばな)に 霍公鳥(ほととぎす) 隱(こも)らふ時(とき)に 逢(あ)へる君(きみ)かも
 夏日五月天 山間杜鵑霍公鳥 隱匿花橘間 規避人目此時節 倏然來逢吾君矣
佚名 1980

五月山(さつきやま) 花橘(はなたちばな)に 霍公鳥(ほととぎす)」,古俗以為不聞夏鳥杜鵑之鳴時,乃其歸隱深山之際。
「隱(こも)らふ」,作者蓋為女性,因某種原因迴避人目,忌籠隱居。

1981 【承前,三首第三。】
 霍公鳥 來鳴五月之 短夜毛 獨宿者 明不得毛
 霍公鳥(ほととぎす) 來鳴(きな)く五月(さつき)の 短夜(みじかよ)も 獨(ひとり)し寢(ぬ)れば 明(あ)かし兼(か)ねつも
 杜鵑霍公鳥 所以來鳴五月天 縱令夏夜短 若是孤寢獨宿者 仍恨夜長天難明
佚名 1981

「短夜(みじかよ)」,按『政事要略』,八月至正月乃長夜,以外為短夜。夏日晝長夜短,然孤寢難眠,仍感夜長。

1982 寄蟬
 日倉足者 時常雖鳴 於戀 手弱女我者 不定
 蜩(ひぐらし)は 時(とき)と鳴(な)けども 戀(こひ)しくに 手弱女我(たわやめあれ)は 定(さだ)まらず泣(な)く
 暮蟬晚蜩者 所鳴嘶噪有定時 然顧長相思 於戀手弱女我者 傷神啼泣時無定
佚名 1982

「時(とき)と」,現在正為所定之時。
「定(さだ)まらず泣(な)く」,無固定時間,隨時、時常。

1983 寄草 【四首第一。】
 人言者 夏野乃草之 繁友 妹與吾師 攜宿者
 人言(ひとごと)は 夏野草(なつののくさ)の 繁(しげ)くとも 妹(いも)と我(あれ)とし 攜寢(たづさはりね)ば
 輭言蜚語者 雖如夏野雜草繁 然妹與吾者 不畏世間噂所謗 執手雙宿寢纏綿
佚名 1983

「繁(しげ)」,旁人之輭言輭語甚囂。
「攜寢(たづさはりね)ば」,互執對方之手而寢。

1984 【承前,四首第二。】
 廼者之 戀乃繁久 夏草乃 苅掃友 生布如
 此頃(このころ)の 戀繁(こひのしげ)けく 夏草(なつくさ)の 刈掃(かりはら)へども 生及(おひし)く如(ごと)し
 比日此頃之 戀之憂思繁無間 一猶夏草茂 雖然苅掃去不盡 儵然復生之所如
佚名 1984

「此頃(このころ)の」,原文「廼者」與「頃者」同。「廼」為「此」之意。
「生及(おひし)く如(ごと)し」,無論如何薙除,亦立即復生,在生長力之前除草不過徒勞。

1985 【承前,四首第三。】
 真田葛延 夏野之繁 如是戀者 信吾命 常有目八面
 真葛延(まくずは)ふ 夏野繁(なつののしげ)く 如是戀(かくこ)ひば 誠我(まことわ)が命(いのち) 常(つね)ならめやも
 真葛廣蔓延 夏野盛繁茂蕃蕪 吾戀若猶此 須臾脆促此命者 終究豈可有常哉
佚名 1985

「真葛延(まくずは)ふ」,葛藤蔓延生長之茂。1901有「延葛の」云云。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m10.htm#1901
「誠(まこと)」,完全、實在。
類歌2891。

1986 【承前,四首第四。】
 吾耳哉 如是戀為良武 垣津旗 丹頰合妹者 如何將有
 我(あれ)のみや 如是戀(かくこ)ひすらむ 垣津旗(かきつはた) 丹頰(につら)ふ妹(いも)は 如何(いか)にか有(あ)るらむ
 蓋唯吾爾耶 焦戀如此燔身心 垣津旗所如 紅顏倩影我妹子 汝之方寸作何如
佚名 1986

「垣津旗(かきつはた)」,菖蒲科多年草。古時用以形容美麗之女性。
「丹頰(につら)ふ妹(いも)は」,面色紅潤。
「如何(いか)にか有(あ)るらむ」,其真情究竟如何?是否稍有察覺作者之慕情?

1987 寄花 【七首第一。】
 片搓爾 絲叫曾吾搓 吾背兒之 花橘乎 將貫跡母日手
 片縒(かたより)に 絲(いと)をそ我(あ)が縒(よ)る 我(わ)が背子(せこ)が 花橘(はなたちばな)を 貫(ぬ)かむと思(おも)ひて
 手執獨編絮 紡搓為線何所念 奉為吾兄子 山橘赤實藪山子 欲以貫之繫君情
佚名 1987

「片縒(かたより)に」,以一縷之絮所編成之絲。一般二縷成編,故獨縷有單戀搖搖欲墜,不耐長久之寓意。
「貫(ぬ)かむと思(おも)ひて」,製作五月藥玉,贈與心上人。原文「將貫跡母日手」之「母」,乃對母、乳母之幼兒語「おも」之借訓表記。
類歌 1340。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m07.htm#1340

1988 【承前,七首第二。】
 鷪之 徃來垣根乃 宇能花之 厭事有哉 君之不來座
 鶯(うぐひす)の 通(かよ)ふ垣根(かきね)の 卯花(うのはな)の 憂事有(うきことあ)れ哉(や) 君(きみ)が來坐(きま)さぬ
 蓋如黃鶯之 所以往來垣根間 卯花之所如 吾君當有憂事哉 以故久不來相會
佚名 1988

「卯花(うのはな)の」,以上,借同音「う」引出下文「憂」字之序。
「憂事有(うきことあ)れ哉(や)」,疑問條件法。「憂(う)し」表意所不快,了無幹勁。
類歌1501。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m08.htm#1501

1989 【承前,七首第三。】
 宇能花之 開登波無二 有人爾 戀也將渡 獨念爾指天
 卯花(うのはな)の 咲(さ)くとは無(な)しに ある人(ひと)に 戀(こ)ひや渡(わた)らむ 片思(かたもひ)にして
 未嘗如卯花 華咲結實無情郎 慕情誠徒然 落花有意水無情 吾情不叶總單戀
佚名 1989

「卯花(うのはな)の」,「卯」字蘊有憂情之意。
「咲(さ)くとは無(な)しに」,「咲く」隱喻男女關係結實。
「戀(こ)ひや渡(わた)らむ」,詠嘆疑問句。

1990 【承前,七首第四。】
 吾社葉 憎毛有目 吾屋前之 花橘乎 見爾波不來鳥屋
 我(あれ)こそば 憎(にく)くもあらめ 我(わ)が宿(やど)の 花橘(はなたちばな)を 見(み)には來(こ)じとや
 唯吾徒傷神 閨怨憎恨度日哉 吾宿庭苑之 花橘雖開是徒然 君蓋無意來賞耶
佚名 1990

「我(あれ)こそば 憎(にく)くもあらめ」,此「憎」字並非全面之嫌惡,而屬閨怨之疇。
以花為媒介,邀約近日不來會晤之愛人之曲。

1991 【承前,七首第五。】
 霍公鳥 來鳴動 岡邊有 藤浪見者 君者不來登夜
 霍公鳥(ほととぎす) 來鳴響(きなきとよ)もす 岡邊(をかへ)なる 藤波見(ふぢなみみ)には 君(きみ)は來(こ)じとや
 杜鵑霍公鳥 所以飛來鳴響之 岡邊藤花咲 吾雖冀共翫藤浪 君蓋無意來賞耶
佚名 1991

「藤波見(ふぢなみみ)には」,「藤浪」乃藤花之雅語。「は」字含有「縱不來與吾人相會,豈有不來賞藤之理。」之寓意。

1992 【承前,七首第六。】
 隱耳 戀者苦 瞿麦之 花爾開出與 朝旦將見
 隱(こも)りのみ 戀(こ)ふれば苦(くる)し 撫子(なでしこ)の 花(はな)に咲出(さきで)よ 朝(あさ)な朝(あさ)な見(み)む
 隱籠深窗中 兩別戀者甚苦矣 還願佳人者 化作撫子花盛咲 朝朝旦旦欲相見
佚名 1992

「隱(こも)りのみ」,總是藏身家中。
「花(はな)に咲出(さきで)よ」,希望戀人能如花般盛開,以時時觀賞。希望戀人、家族、親友化作花卉得以時常相見之歌不少,然如此曲般以命令形式者不多見。

1993 【承前,七首第七。】
 外耳 見筒戀牟 紅乃 末採花之 色不出友
 外(よそ)のみに 見(み)つつ戀(こ)ひなむ 紅(くれなゐ)の 末摘花(すゑつむはな)の 色(いろ)に出(い)でずとも
 遠觀不能近 遙遙望之慕情燃 縱令汝含蘊 不若鮮紅末摘花 艷色不出仍可也
佚名 1993

「見(み)つつ戀(こ)ひなむ」,「つつ」底本作「筒」,而部分校本作「箇」。按古時「筒」、「箇」相通,然有筒以箇代之例,少有箇以筒代之例。
「紅(くれなゐ)の 末摘花(すゑつむはな)の」,「紅(くれなゐ)」乃「紅花(べにはな)」。菊科越年草,夏開鮮黃色之頭花,可摘其末花,以為紅色染料,故名。
「色(いろ)に出(い)でずとも」,「色(いろ)」比喻將心中思念化作行動言語表現出來。

1994 寄露
 夏草乃 露別衣 不著爾 我衣手乃 干時毛名寸
 夏草(なつくさ)の 露別衣(つゆわけごろも) 著(つ)け無(な)くに 我(わ)が衣手(ころもで)の 乾(ふ)る時(とき)も無(な)き
 排分夏草之 闢路道別露霑衣 分明不著而 何以吾袖衣手者 常時漬濡無乾時
佚名 1994

「露別衣(つゆわけごろも)」,踏破結露之草原而為之沾濕的衣服。

1995 寄日
 六月之 地副割而 照日爾毛 吾袖將乾哉 於君不相四手
 六月(みなづき)の 地(つち)さへ裂(さ)けて 照日(てるひ)にも 我(わ)が袖干(そでひ)めや 君(きみ)に逢(あ)はずして
 縱令水無兮 季夏六月能割地 猛烈照日者 雖可令我衣袖乾 無以致吾與君逢
佚名 1995

「六月(みなづき)の」,水無月,季夏。一年之中最曙熱之時期。
類歌2857。

秋雜歌

1996 七夕 【九八第一。】
 天漢 水左閇而照 舟竟 舟人 妹等所見寸哉
 天川(あまのがは) 水(みづ)さへに照(て)る 舟泊(ふねは)てて 舟(ふね)なる人(ひと)は 妹(いも)に見(み)えきや
 華麗照天漢 銀河之水映堂皇 船泊著彼岸 乘舟之人牛郎矣 汝可得見織女哉
柿本人麻呂 1996

「天川(あまのがは)」,銀河。以其流向與地上之漢水相符,故亦稱天漢。
「舟泊(ふねは)てて」,「泊」字原文「竟」者,按古本『玉篇』云:「終也。」
「舟(ふね)なる人(ひと)は」,乘舟之人,牛郎。中國牛郎織女傳說,多為織女渡鵲橋訪牽牛,而在日本受訪妻制習俗影響,多為牛郎渡船與織女相逢。

1997 【承前,九八第二。】
 久方之 天漢原丹 奴延鳥之 裏歎座都 乏諸手丹
 久方(ひさかた)の 天川原(あまのかは)らに 鵺鳥(ぬえどり)の 衷歎坐(うらなげま)しつ 術無(すべな)き迄(まで)に
 遙遙久方兮 銀河天之川原間 鵺鳥虎鶇之 胸懷哀嘆泣心中 悲戚乏術令人惋
柿本人麻呂 1997

「鵺鳥(ぬえどり)の」,虎鶇,「衷泣(うらな)く」之枕詞。此句主語乃織女。
「術無(すべな)き迄(まで)に」,此云地上之人,對天上牛郎織女之戀情感到同情之狀。

1998 【承前,九八第三。】
 吾戀 嬬者知遠 徃船乃 過而應來哉 事毛告火
 我(あ)が戀(こひ)を 夫(つま)は知(し)れるを 行舟(ゆくふね)の 過(す)ぎて來(く)べしや 言(こと)も告(つ)げなむ
 親親吾夫者 明知妾身戀如此 然汝行舟者 可當過而應來哉 還願一言以相報
柿本人麻呂 1998

「夫(つま)は知(し)れるを」,「夫」指牛郎。「を」表逆接,此云織女哀道夫君分明知道己身戀之甚矣。
「行舟(ゆくふね)の 過(す)ぎて來(く)べしや」,此云牛郎乘舟,當接岸而行過埠頭。責難其故意令織女焦急之語。
「言(こと)も告(つ)げなむ」,「なむ」乃希求,而此為反事實之用法。原文「火」字乃依陰陽五行說而當於「南(なむ)」字之借訓。

1999 【承前,九八第四。】
 朱羅引 色妙子 數見者 人妻故 吾可戀奴
 赤(あか)らひく 色麗(いろぐは)し兒(こ)を 屢見(しばみ)れば 人妻故(ひとづまゆゑ)に 我戀(あれこ)ひぬべし
 紅顏色妙之 窈窕佳人令人迷 屢見之間者 雖知名花既有主 吾仍不覺心戀之
柿本人麻呂 1999
「妹」,此云織女星

「赤(あか)らひく」,散發著赤色光輝,多用於日、朝之枕詞,而此云美人化妝之紅顏。
「色麗(いろぐは)し兒(こ)を」,此云織女容姿端麗。「麗(くは)し」為纖細美麗之意。
「人妻故(ひとづまゆゑ)に 我戀(あれこ)ひぬべし」,雖然是名花有主的人妻,卻難以克制地戀上美貌的織女。站在第三者之立場所詠。

2000 【承前,九八第五。】
 天漢 安渡丹 船浮而 秋立待等 妹告與具
 天川(あまのがは) 安渡(やすのわたり)に 舟浮(ふねう)けて 秋立待(あきたちま)つと 妹(いも)に告(つ)げこそ
 銀河天之川 天安河原渡場間 浮舟乘浪上 吾人佇立待七夕 還願相告令妻悉
柿本人麻呂 2000

「安渡(やすのわたり)に」,此云記紀神話中所述之天安河原。渡乃渡場。將七夕傳說與日本神話融合之例。
「秋立待(あきたちま)つと」,難待一年一度相會之七夕之夜,佇立相俟。
「妹(いも)に告(つ)げこそ」,「こそ」表希求。牛郎請渡守代為轉告織女之語。

2001 【承前,九八第六。】
 從蒼天 徃來吾等須良 汝故 天漢道 名積而敘來
 大空(おほぞら)ゆ 通(かよ)ふ我(われ)すら 汝(な)が故(ゆゑ)に 天川道(あまのかはぢ)を 滯(なづ)みてぞ來(こ)し
 縱令是蒼天 吾能去來翔自由 然若為汝故 雖然天川道難涉 不辭辛勞來相會
柿本人麻呂 2001

「大空(おほぞら)ゆ 通(かよ)ふ我(われ)すら」,「すら」乃「すらを」之略。彥星自負有自由翱翔天際之能力。雖然如此,卻為銀河所阻無法相會。所謂「盈盈一水間,脈脈不得語。」
「滯(なづ)みてぞ來(こ)し」,「滯(なづ)み」乃難涉之意。

2002 【承前,九八第七。】
 八千戈 神自御世 乏孋 人知爾來 告思者
 八千桙(やちほこ)の 神御代(かみのみよ)より 乏(とも)し妻(づま) 人知(ひとし)りにけり 繼(つ)ぎてし思(おも)へば
 早自大國主 八千桙神御代起 吾妻稀能逢 人盡皆知川無涯 以吾常相戀慕矣
柿本人麻呂 2002

「八千桙(やちほこ)の 神」,大國主命萬葉集中,論及物事起源遠古者,多引此神名號。此亦七夕傳說、日本神話融合之例。
「乏(とも)し妻(づま)」,相逢機會及其稀少之妻子。
「繼(つ)ぎてし思(おも)へば」,一直以來長相思,故眾人皆知。「繼」字原文「告」者,可知其在上古同源。

2003 【承前,九八第八。】
 吾等戀 丹穗面 今夕母可 天漢原 石枕卷
 我(あ)が戀(こ)ふる 丹秀面輪(にのほのおもわ) 今宵(こよひ)もか 天川原(あまのかはら)に 石枕枕(いしまくらま)く
 吾之所戀慕 朝思暮想紅顏矣 想汝今宵亦 獨守天安河原間 以石為枕孤枕眠
柿本人麻呂 2003

「丹秀面輪(にのほのおもわ)」,「秀(ほ)」指容易引人注目。與「穗(ほ)」同源。「面輪(おもわ)」表織女圓滿之容顏。
「石枕枕(いしまくらま)く」,一般枕石指死者入土而言,此則云織女難耐相思之情,逕至河邊盼君速至。

2004 【承前,九八第九。】
 己孋 乏子等者 竟津 荒礒卷而寐 君待難
 己夫(おのづま)に 乏(とも)しき兒等(こら)は 泊(は)てむ津(つ)の 荒礒卷(ありそま)きて寢(ね)む 君待難(きみまちかて)に
 稀能與夫逢 獨守空閨織女者 不能堪相思 寢於泊津荒礒上 枕石盼君早日來
柿本人麻呂 2004

「己夫(おのづま)に」,此云織女之夫牛郎。
「泊(は)てむ津(つ)の」,牛郎乘舟將停泊之港口。
「荒礒卷(ありそま)きて寢(ね)む」,荒礒指銀河之岩岸。
「君待難(きみまちかて)に」,難以靜靜地等待。

2005 【承前,九八第十。】
 天地等 別之時從 自孋 然敘干而在 金待吾者
 天地(あめつち)と 分(わか)れし時(とき)ゆ 己(おの)が妻(つま) 如是(かく)ぞ離(か)れてある 秋待(あきま)つ我(われ)は
 自於遠神代 天地初盼時以來 吾人與愛妻 銀漢無涯離如此 是以我總待秋來
柿本人麻呂 2005

「天地(あめつち)と 分(わか)れし時(とき)ゆ」,古天地未剖陰陽不分,此云故事曩久,自天地開闢以來。
「秋待(あきま)つ我(われ)は」,「秋」字原文作「金」者,乃依五行思想之借訓。

2006 【承前,九八十一。】
 孫星 嘆須孋 事谷毛 告爾敘來鶴 見者苦彌
 彥星(ひこほし)は 嘆(なげ)かす妻(つま)に 言(こと)だにも 告(つ)げにぞ來(き)つる 見(み)れば苦(くる)しみ
 牛郎彥星之 來茲悲嘆偲織女 盈盈一水間 隔之脈脈不得語 見者欷歔更鼻酸
柿本人麻呂 2006

「嘆(なげ)かす妻(つま)に」,牛郎哀嘆織女星難以相逢。
「告(つ)げにぞ來(き)つる」,「告(つ)げに」乃「告(つ)げむと」之轉,延續上句「だに」之情。希望至少能夠相談而來,然卻無法成遂。詠於七夕以外之日。

2007 【承前,九八十二。】
 久方 天印等 水無川 隔而置之 神世之恨
 久方(ひさかた)の 天印(あまつしるし)と 水無川(みなしがは) 隔(へだ)てて置(お)きし 神代(かみよ)し恨(うら)めし
 遙遙久方兮 天印嚴令不得˙犯 嚴堺水無川 隔而所置迄於今 亙古神代令人恨
柿本人麻呂 2007

「天印(あまつしるし)と」,存在於天界,標示禁止越境之印記。
水無川(みなしがは)」,一般指伏流無水之川,此云銀河。
「神代(かみよ)し恨(うら)めし」,憎恨設下此一屏障之神代。亦為將牛郎織女傳說與日本神話融合之曲。

2008 【承前,九八十三。】
 鄢玉 宵霧隱 遠鞆 妹傳 速告與
 烏玉(ぬばたま)の 夜霧(よぎり)に隱(こも)り 遠(とほ)くとも 妹(いも)が傳(つた)へは 早(はや)く告(つ)げこそ
 漆鄢烏玉兮 暗闇夜霧所引籠 銀漢雖迢迢 若有妹妻魚雁者 還願速告令吾知
柿本人麻呂 2008

「烏玉(ぬばたま)の」,「夜」、「鄢」之枕詞。
「妹(いも)が傳(つた)へは 早(はや)く告(つ)げこそ」,若有來自織女之傳言、書信,還望及早知會。相對地己身欲傳達給織女之雨,也願早速告之。「こそ」為表希求之終助詞。

2009 【承前,九八十四。】
 汝戀 妹命者 飽足爾 袖振所見都 及雲隱
 汝(な)が戀(こ)ふる 妹命(いものみこと)は 飽足(あきだ)らに 袖振(そでふ)る見(み)えつ 雲隱(くもがく)る迄(まで)
 汝之所戀慕 天津棚機織女者 以離情依依 揮袖不止振衣手 直至雲隱不復見
柿本人麻呂 2009

「飽足(あきだ)らに」,「に」表原因、理由。織女因不捨離情,揮手疾振不已。
以旁觀者視點描述劉郎織女離別場景之曲。

2010 【承前,九八十五。】
 夕星毛 徃來天道 及何時鹿 仰而將待 月人壯
 夕星(ゆふつづ)も 通(かよ)ふ天道(あまぢ)を 何時迄(いつまで)か 仰(あふ)ぎて待(ま)たむ 月人壯士(つきひとをとこ)
 太白金星之 夕星往來天道矣 仰首長相待 當至何時彥星見 嗚呼月人壯士矣
柿本人麻呂 2010

「夕星(ゆふつづ)も 通(かよ)ふ天道(あまぢ)を」,夕星乃金星。金星開始運行之天道。
「何時迄(いつまで)か 仰(あふ)ぎて待(ま)たむ」,昂首盼望,何時方能見得牛郎星。
「月人壯士(つきひとをとこ)」,對月球之擬人化呼稱。

2011 【承前,九八十六。】
 天漢 已向立而 戀等爾 事谷將告 孋言及者
 天川(あまのがは) い向立(むかひた)ちて 戀(こ)ひしらに 言(こと)だに告(つ)げむ 妻(つま)と言迄(いふまで)は
 天漢銀河矣 相隔一水情脈脈 慕情無以止 還望一語緩憂思 直至七夕訪妻時
柿本人麻呂 2011

「戀(こ)ひしらに」,「ら」乃將形容詞名詞化之接尾語。

2012 【承前,九八十七。】
 水良玉 五百都集乎 解毛不見 吾者干可太奴 相日待爾
 白玉(しらたま)の 五百箇集(いほつつど)ひを 解(と)きも見(み)ず 我(あ)は離難(かれかて)ぬ 逢(あは)む日待(ひま)つに
 一猶白玉之 五百寶珠所集緒 不曾嘗解之 吾人難堪此離情 日日相待再逢時
柿本人麻呂 2012

「白玉(しらたま)の 五百箇集(いほつつど)ひを」,「五百箇集(いほつつど)ひ」指多數整然之集合。白玉原文「水良玉」者,以「水(すい)」表「し」音或有不當,但可令人聯想「水晶」之疇。亦有「水長鳥=息長鳥」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m09.htm#1738 之類例。
「我(あ)は離難(かれかて)ぬ」,「難(かて)」乃表可能之「克(か)つ」的中止型,其後接否定之「ぬ」或「ず」。「干」乃「離(か)れ」之借訓。「太」為「て」之音假名。
站在牛郎星之力場所詠之曲。或云織女星之立場。

2013 【承前,九八十八。】
 天漢 水陰草 金風 靡見者 時來來
 天川(あまのがは) 水蔭草(みづかげくさ)の 秋風(あきかぜ)に 靡(なび)かふ見(み)れば 時(とき)は來(き)にけり
 每逢見銀河 天川水蔭叢生草 伴隨秋風吹 搖曳靡動猶浪者 是知相逢時至矣
柿本人麻呂 2013

「水蔭草(みづかげくさ)」,叢生水蔭之草。然『日葡辭書』則云「穗間稻。詩歌語。」
「秋風(あきかぜ)」,原文依五行說作「金風」。
「靡(なび)かふ」,「靡(なび)ぐ」之持續態。
「時(とき)」,此云當與相逢之七夕。

2014 【承前,九八十九。】
 吾等待之 白芽子開奴 今谷毛 爾寶比爾徃奈 越方人邇
 我(あ)が待(ま)ちし 秋萩咲(あきはぎさ)きぬ 今(いま)だにも 匂(にほ)ひに行(ゆ)かな 彼方人(をちかたひと)に
 吾所常相待 秋萩芽子咲顏開 迫不及待而 驅身渡水為所染 赴逢相思彼岸人
柿本人麻呂 2014

「秋萩咲(あきはぎさ)きぬ」,原文「白芽子」之白乃依五行說所為。
「今(いま)だにも」,現在立刻。
「匂(にほ)ひに行(ゆ)かな」,為萩華之色所染,暗示戀人纏綿之狀。
「彼方人(をちかたひと)」,銀河對岸之織女星