補給物資、万葉集試訳

■補給物資


万葉集試訳

1838 【承前,廿四二十。】
 峯上爾 零置雪師 風之共 此聞散良思 春者雖有
 峰上(をのうへ)に 降置(ふりお)ける雪(ゆき)し 風共(かぜのむた) 此處(ここ)に散(ち)るらし 春(はる)には在(あ)れども
 蓋是峰嶺上 所零白雪積置者 乘風共馳來 散落此處斑白哉 分明雖在春日者
佚名 1838
 右一首,筑波山作。

「峰上(をのうへ)に」,或云尾根、尾上。群山相連之稜線。
「風共(かぜのむた)」,「共(むた)」表「與共」。
蓋於山麓風花舞落而詠。

1839 【承前,廿四廿一。】
 為君 山田之澤 惠具採跡 雪消之水爾 裳裾所沾
 君(きみ)が為(た)め 山田澤(やまたのさは)に 蘞摘(ゑぐつ)むと 雪消水(ゆきげのみづ)に 裳裾濡(ものすそぬ)れぬ
 心欲為吾君 至於山田之澤間 摘採蘞草者 冰融雪水沁骨寒 霑濡裳裾令衣濕
佚名 1839

「蘞(ゑぐ)」,黒慈姑、荸薺,蚊帳吊草科多年草本植物。自生於沼澤等濕地,塊莖可食用。
「裳(も)」,相對於男子之褌(はかま),此為女子所著長裙狀衣物。
可與1249、2330類想。

1840 【承前,廿四廿二。】
 梅枝爾 鳴而移徙 鷪之 翼白妙爾 沫雪曾落
 梅(うめ)が枝(え)に 鳴(な)きて移(うつろ)ふ 鶯(うぐひす)の 羽白妙(はねしろたへ)に 沫雪(あわゆき)そ降(ふ)る
 春寒花未放 穿梭移徙梅枝間 鳴囀黃鶯者 餝妝其翼作斑白 沫雪紛降添淨絹
佚名 1840

「移(うつろ)ふ」,常用以表示變心、花謝等,而此單指穿梭移徙。

1841 【承前,廿四廿三。】
 山高三 零來雪乎 梅花 落鴨來跡 念鶴鴨【一云,梅花,開香裳落跡。】
 山高(やまだか)み 降來(ふりく)る雪(ゆき)を 梅花(うめのはな) 散(ち)りかも來(く)ると 思お(もひ)つるかも【一云(またにいふ)、梅花(うめのはな)、咲(さ)きかも散(ち)ると。】
 足曳山高嶮 嶺上零來白雪者 飄舞降繽紛 殆似梅花散落來 真假難辨迷目眩【一云,飄舞降繽紛,殆以梅花開而落。】 
佚名 1841

「山高(やまたか)み」,按次曲左註「問答」,本歌作者蓋居於山邊之人。
「散(ち)りかも來(く)ると」,見雪而誤以為是里間仁家所植之梅花乘風飄散而來。

1842 【承前,廿四廿四。】
 除雪而 梅莫戀 足曳之 山片就而 家居為流君
 雪(ゆき)を除(お)きて 梅(うめ)に莫戀(なこ)ひそ 足引(あしひき)の 山片付(やまかたづ)きて 家居(いへゐ)せる君(きみ)
 莫除雪景美 單戀梅花翫暗香 足曳勢險峻 山邊營室棲此地 以為家居吾君矣
佚名 1842
 右二首,問答。

「雪(ゆき)を除(お)きて」,「除(お)き」有捨棄、輕看之意思。對於前曲,提醒莫望美雪之雅致。
「梅(うめ)に莫戀(なこ)ひそ」,或訓「梅を莫戀ひそ」。按『古今集』等中古時代歌集,用「を」「を」字者多,然上代萬葉集』中以「に」為大宗。
「山片付(やまかたづ)きて」,「片付(かたづ)き」乃部分鄰接。
對話形式之問答歌,梅里之人用以撫慰雪中待春之遁隱人士的贈答曲。

1843 詠霞
 昨日社 年者極之賀 春霞 春日山爾 速立爾來
 昨日(きのふこそ) 年(とし)は果(は)てしか 春霞(はるかすみ) 春日山(かすがのやま)に 早立(はやた)ちにけり
 分明在昨日 年者極之冬方去 何以春霞者 早在春日山頂上 早湧霏霺春意濃
佚名 1843

「昨日(きのふこそ) 年(とし)は果(は)てしか」,「しか」乃回想助動詞「き」之已然形。「こそ」與已然形逆接。此云雖知曆法上新年已至,未料氣候立即轉變。
「春霞(はるかすみ)」,第五句「早立(はやた)ちにけり」之主語。

1844 【承前。】
 寒過 暖來良思 朝烏指 滓鹿能山爾 霞輕引
 冬過(ふゆす)ぎて 春來(はるきた)るらし 朝日指(あさひさ)す 春日山(かすがのやま)に 霞棚引(かすみたなび)く
 寒冬既已過 暖春來兮萬象始 金烏朝日射 寧樂春日山頂上 煙霞輕引飄霏霺
佚名 1844

「冬過(ふゆす)ぎて 春來(はるきた)るらし」,原文「寒過 暖來良思」,其後1884亦有「暖來良者」。「寒、暖」各為「冬、春」之義訓。或以「冷」字表「秋」者類之。
「朝日指(あさひさ)す」,地名春日之枕詞。原文「朝烏」者,指三足之金烏、陽烏,見於『藝文類聚』「日」引用「五經通義」。

1845 【承前。】
 鷪之 春成良思 春日山 霞棚引 夜目見侶
 鶯(うぐひす)の 春(はる)に成(な)るらし 春日山(かすがやま) 霞棚引(かすみたなび)く 夜目(よめ)に見(み)れども
 耳聞報暖聲 黃鶯出谷春臨哉 寧樂春日山 煙霞霏霺掛頂上 縱雖闇夜可察之
佚名 1845

「鶯(うぐひす)の」,春之枕詞。以黃鶯出谷乃代表此季節之景物而來。
「夜目(よめ)」,夜間昏暗視線不清之狀。

1846 詠柳 【八首第一。】
 霜干 冬柳者 見人之 蘰可為 目生來鴨
 霜枯(しもがれ)の 冬柳(ふゆのやなぎ)は 見(み)る人(ひと)の 縵(かづら)にすべく 萌(も)えにけるかも
 霜摧草木枯 冬柳今日復始發 可為見人之 鬘蘰餝首裝身麗 新芽更萌欣向榮
佚名 1846

「霜枯(しもがれ)の」,草木遭寒霜摧打而枯萎。『歌經標式』有「霜枯(しもがれ)の 垂柳(しだりやなぎ)の」之語。
「縵(かづら)」,以蔓性植物或柳枝結作環狀之首飾。
「萌(も)えにけるかも」,「萌(も)え」指發芽。

1847 【承前,八首第二。】
 淺䖝 染懸有跡 見左右二 春楊者 目生來鴨
 淺䖝(あさみどり) 染懸(そめか)けたりと 見(み)る迄(まで)に 春柳(はるのやなぎ)は 萌(も)えにけるかも
 一眼望見者 以為絹絲染淺䖝 飄然懸樹頭 寔乃春柳萌新䖝 垂枝飄盪映新春
佚名 1847

「淺䖝(あさみどり)」,「䖝(みどり)」字本指艸木新芽,其後轉作顏色之用。
「染懸(そめか)けたりと」,將絹絲染色懸於架上晾乾之狀。
「見(み)る迄(まで)に」,殆將誤認。
「春柳(はるのやなぎ)は」,河楊。

1848 【承前,八首第三。】
 山際爾 雪者零管 然為我二 此河楊波 毛延爾家留可聞
 山際(やまのま)に 雪(ゆき)は降(ふ)りつつ 然(しか)すがに 此川楊(このかはやぎ)は 萌(も)えにけるかも
 顧見足曳兮 山際雪零未嘗止 縱然為此而 此處河岸川柳者 已然萌芽發新䖝
佚名 1848

「此川楊(このかはやぎ)は」,「楊(やぎ)」與「楊(やなぎ)」同。

1849 【承前,八首第四。】
 山際之 雪者不消有乎 水飯合 川之副者 目生來鴨
 山際(やまのま)の 雪(ゆき)は消(け)ざるを 潀(みなひあ)ふ 川沿(かはのそひ)には 萌(も)えにけるかも
 顧見足曳兮 山際零雪未消融 而以水潀之 落激川邊沿岸上 川柳萌芽發新䖝
佚名 1849

「潀(みなひあ)ふ」,原文「水飯合」,有疑。或「水激合」之訛。
「萌(も)えにけるかも」,主語楊柳因承接前曲而省略。

1850 【承前,八首第五。】
 朝旦 吾見柳 鷪之 來居而應鳴 森爾早奈禮
 朝(あさ)な朝(さ)な 我(わ)が見(み)る柳(やなぎ) 鶯(うぐひす)の 來居(きゐ)て鳴(な)くべく 森(もり)に早成(はやな)れ
 每朝復每旦 吾之所見小柳矣 願汝更成長 以為黃鶯所來鳴 可棲巨木鬱森矣
佚名 1850

「朝(あさ)な朝(さ)な」,「朝(あさ)な朝(あさ)な」之略,每朝。
「森(もり)に早成(はやな)れ」,「森(もり)」本意為神靈憑宿之木,現亦有以「森」稱「山」之語。「早成(はやな)れ」,帶有命令、意志、願望之表現。

1851 【承前,八首第六。】
 青柳之 絲乃細紗 春風爾 不亂伊間爾 令視子裳欲得
 青柳(あをやぎ)の 絲細(いとのくは)しさ 春風(はるかぜ)に 亂(みだ)れぬい間(ま)に 見(み)せむ子(こ)もがも
 青柳流春意 柳絲纖細美有緻 還望春風之 尚未吹亂彼絃前 欲得佳人令其翫
佚名 1851

「絲細(いとのくは)しさ」,「細(くは)し」乃纖細美麗之狀。
「見(み)せむ子(こ)もがも」,「がも」乃「欲得」,一般假想對象,未有明確特定之人物。

1852 【承前,八首第七。】
 百礒城 大宮人之 蘰有 垂柳者 雖見不飽鴨
 百敷(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)の 蘰(かづら)ける 下垂柳(しだりやなぎ)は 見(み)れど飽(あ)かぬかも
 百敷宮闈間 高雅殿上大宮人 取之為蘰餝 玲瓏翠絲垂柳者 雖見百度未嘗厭
佚名 1852

「百敷(ももしき)の」,大宮之枕詞。以諸多岩石所組成之城。
「蘰(かづら)ける」,用以飾首之藤蔓,蓋為觀梅之風流。

1853 【承前,八首第八。】
 梅花 取持而見者 吾屋前之 柳乃眉師 所念可聞
 梅花(うめのはな) 取持(とりも)ちて見(み)れば 我(わ)が宿(やど)の 柳眉(やなぎのまよ)し 思(おも)ほゆるかも
 梅花綻幽香 折枝取持而見者 心中有所思 所念我宿吾庭間 仙姿玉質柳眉矣
佚名 1853

「取持(とりも)ちて見(み)れば」,仙覺本等原文作「取持見者」,而元曆校本等古寫本作「取持而見者」。
「柳眉(やなぎのまよ)」,以新柳之細葉比擬美人之眉之漢籍表現。「眉(まよ)」乃「「眉(まゆ)」」之古形。

1854 詠花 【廿首第一。】
 鷪之 木傳梅乃 移者 櫻花之 時片設奴
 鶯(うぐひす)の 木傳(こづた)ふ梅(うめ)の 移(うつろ)へば 櫻花(さくらのはな)の 時片設(ときかたま)けぬ
 每逢黃鶯之 傳枝穿梭白梅花 移落之際者 便是櫻花將代之 一面滿開盛咲時
佚名 1854

「木傳(こづた)ふ」,在枝頭間跳躍穿梭移動。
「移(うつろ)へば」,花謝凋零之狀。
「時片設(ときかたま)けぬ」,「片設(かたま)け」表時期將近。

1855 【承前,廿首第二。】
 櫻花 時者雖不過 見人之 戀盛常 今之將落
 櫻花(さくらばな) 時(とき)は過(す)ぎねど 見(み)る人(ひと)の 戀(こ)ふる盛(さか)りと 今(いま)し散(ち)るらむ
 顧見時節者 櫻花盛時仍未過 何以今凋零 蓋是所念翫人之 戀盛之頃謝今朝
佚名 1855

「時(とき)は過(す)ぎねど」,「時(とき)」表最盛期。
「戀(こ)ふる盛(さか)りと」,「戀(こ)ふ」表溺愛花之心境。把握賞花人最愛花之時期凋謝。

1856 【承前,廿首第三。】
 我刺 柳絲乎 吹亂 風爾加妹之 梅乃散覽
 我(わ)が髻首(かざ)す 柳絲(やなぎのいと)を 吹亂(ふきみだ)る 風(かぜ)にか妹(いも)が 梅散(うめのち)るらむ
 吾之所髻首 柳絲為風吹紊亂 吾度同風者 亦拂窈窕吾妹兒 致其梅花零舞散
佚名 1856

「柳絲(やなぎのいと)を」,以絹絲比擬楊柳纖細之枝葉。
以風為媒介,偲慕伊人家梅之曲。

1857 【承前,廿首第四。】
 每年 梅者開友 空蟬之 世人吾羊蹄 春無有來
 年每(としのは)に 梅(うめ)は咲(さ)けども 空蟬(うつせみ)の 世人我(よのひとわれ)し 春無(はるな)かりけり
 年年復年年 分明梅花逢春咲 然此空蟬兮 憂世之人我身者 蓋是無復春可臨
佚名 1857

「空蟬(うつせみ)の」,人、世之枕詞。
「世人我(よのひとわれ)し」,底本作「世人吾羊蹄」者,按『萬葉代匠記』云:「君字之訛矣。」故改之。
喟託此身不幸之曲,蓋為歎老之歌。

1858 【承前,廿首第五。】
 打細爾 鳥者雖不喫 繩延 守卷欲寸 梅花鴨
 打細(うつたへ)に 鳥(とり)は食(は)まねど 繩延(なはは)へて 守(も)らまく欲(ほ)しき 梅花哉(うめのはなかも)
 雖非鳥等者 必然喫之摧其落 然吾有所思 欲張繩守呵護之 楚楚可憐梅花矣
佚名 1858

「打細(うつたへ)に」,無闇、囫圇、無由,與後句取消反語結合,有「分明不是...」之意。
「繩延(なはは)へて」,「延(は)へ」乃擴張、拉長之意。

1859 【承前,廿首第六。】
 馬並而 高山部乎 白妙丹 令艷色有者 梅花鴨
 馬並(うまな)めて 多賀山邊(たかのやまへ)を 白栲(しろたへ)に 匂(にほ)はしたるは 梅花哉(うめのはなかも)
 列馬馳騁兮 多賀高山岡邊處 素廟白栲兮 令染艷色綻放者 蓋是幽雅梅花哉
佚名 1859

「馬並(うまな)めて」,列馬,地名「高(たか)、多賀(たか)」之枕詞。以「馲(たく)」為駕馭馬之意而來。
「多賀山邊(たかのやまへ)を」,或本作「高山乎」,此依大矢本作「高山部乎」。
「白栲(しろたへ)に 匂(にほ)はしたるは」,染為白色。「匂(にほ)ふ」早期專用於赤色,而時修飾白色之用。

1860 【承前,廿首第七。】
 花咲而 實者不成登裳 長氣 所念鴨 山振之花
 花咲(はなさ)きて 實(み)は成(な)らねども 長日(ながきけ)に 思(おも)ほゆるかも 山吹花(やまぶきのはな)
 雖然花咲而 終不成實徒花者 然吾長所念 繫於心頭懷胸中 嗚呼八重山吹花
佚名 1860

「花咲(はなさ)きて」,「て」於此乃逆接用法。
「實(み)は成(な)らねども」,栽培種之八重山吹開花而不結實,常用以比喻沒有結果之戀情。
「長日(ながきけ)に」,「日(け)」表日數,久待花開之狀。

1861 【承前,廿首第八。】
 能登河之 水底并爾 光及爾 三笠乃山者 咲來鴨
 能登川(のとがは)の 水底(みなそこ)さへに 照(て)る迄(まで)に 御笠山(みかさのやま)は 咲(さ)きにけるかも
 縱令能登川 水底之下能照臨 光及至如斯 御蓋三笠山之間 百花爭艷咲來矣
佚名 1861

「水底(みなそこ)さへに」,連水底都。
「咲(さ)きにけるかも」,主語或為櫻、山吹、梅。此歌或於能登川邊、御蓋山南麓、市之井池所詠。

1862 【承前,廿首第九。】
 見雪者 未冬有 然為蟹 春霞立 梅者散乍
 雪見(ゆきみ)れば 未(いま)だ冬也(ふゆなり) 然(しか)すがに 春霞立(はるかすみた)ち 梅(うめ)は散(ち)りつつ
 顧見沫雪者 則知寒冬未過也 然此為斯者 何以春霞湧霏霺 梅花散兮櫻將咲
佚名 1862

「梅(うめ)は散(ち)りつつ」,以「つつ」結尾之句,當其伴隨「もとな」者,以「の」承接主格。無此者以「は」為主格。

1863 【承前,廿首第十。】
 去年咲之 久木今開 徒 土哉將墮 見人名四二
 去年咲(こぞさ)きし 久木今咲(ひさぎいまさ)く 徒(いたづら)に 地(つち)にか落(お)ちむ 見(み)る人無(ひとな)しに
 去年所咲之 久木之花今亦咲 然吾有所思 彼蓋徒然將墮地 孤芳自賞無人
佚名 1863

「久木(ひさぎ)」,未詳。或云檟,或云赤芽槲,花期皆夏,錄於春歌者不合。

1864 【承前,廿首十一。】
 足日木之 山間照 櫻花 是春雨爾 散去鴨
 足引(あしひき)の 山際照(やまのまて)らす 櫻花(さくらばな) 此春雨(このはるさめ)に 散去(ちりゆ)かむかも
 足曳勢險峻 高聳山際今照臨 盛咲櫻花矣 今當為茲春雨摧 零落舞散凋逝去
佚名 1864

「散去(ちりゆ)かむかも」,原文「散去鴨」,『類聚古集』等訓「散(ちり)ぬらむかも」,此從仙覺本訓。

1865 【承前,廿首十二。】
 打靡 春避來之 山際 最木末乃 咲徃見者
 打靡(うちなび)く 春去來(はるさりく)らし 山際(やまのま)の 遠木末(とほきこぬれ)の 咲行見(さきゆくみ)れば
 搖曳隨風動 萬象復始春臨哉 若見山際之 樹梢枝頭遠木末 咲徃之者可知悉
佚名 1865

「遠木末(とほきこぬれ)の」,原文「最木末乃」者,古來訓字有所爭議。『萬葉考』以來,依異傳歌1422訓之。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m08.htm#1422

1866 【承前,廿首十三。】
 春雉鳴 高圓邊丹 櫻花 散流歷 見人毛我母
 雉鳴(きぎしな)く 高圓邊(たかまとのへ)に 櫻花(さくらばな) 散(ち)りて流(なが)らふ 見(み)む人(ひと)もがも
 春雉之所鳴 寧樂高圓山邊處 繽紛令目眩 櫻花散流猶吹雪 欲得同志可共覽
佚名 1866

「雉鳴(きぎしな)く」,原文「春雉鳴」之春字概為意訓。
「散(ち)りて流(なが)らふ」,「流(なが)らふ」乃梅、櫻之花瓣隨風飄落之狀。

1867 【承前,廿首十四。】
 阿保山之 佐案花者 今日毛鴨 散亂 見人無二
 阿保山(あほやま)の 櫻花(さくらのはな)は 今日(けふ)もかも 散亂(ちりまが)ふらむ 見(み)る人無(ひとな)しに
 寧樂阿保山 山間群生櫻花者 今日亦如斯 吹雪散亂落徒然 可惜無人能翫之
佚名 1867

「櫻花(さくらのはな)は」,原文「佐案花者」,「案」與「鞍(くら)」同。

1868 【承前,廿首十五。】
 川津鳴 吉野河之 瀧上乃 馬醉之花會 置末勿勤
 蛙鳴(かはづな)く 吉野川(よしののかは)の 瀧上(たきのうへ)の 馬醉木花(あしびのはな)ぞ 端(はし)に置(お)く勿努(なゆめ)
 河蛙田雞鳴 御芳野兮吉野河 宮瀧上所生 馬醉木花妍華矣 莫置端隅疏怠之
佚名 1868

「蛙鳴(かはづな)く」,吉野之枕詞。以當地代表景色飾之。
「馬醉木花(あしびのはな)」,躑躅科落葉低木,早春開壺狀白花。枝葉有毒,馬畜誤食則舉止如醉,故云。
「端(はし)に置(お)く勿努(なゆめ)」,「端」乃角落,「端に置く」乃疏遠、怠慢之意。

1869 【承前,廿首十六。】
 春雨爾 相爭不勝而 吾屋前之 櫻花者 開始爾家里
 春雨(はるさめ)に 爭兼(あらそひか)ねて 我(わ)が宿(やど)の 櫻花(さくらのはな)は 咲始(さきそ)めにけり
 春雨催華咲 與之相爭不能勝 是以吾屋前 含苞待放櫻花者 今日始咲綻芬芳
佚名 1869

「爭兼(あらそひか)ねて」,難以抵抗。此云春雨催促櫻花綻放,而櫻花拒絕之擬人表現。此類用法多見於漢籍

1870 【承前,廿首十七。】
 春雨者 甚勿零 櫻花 未見爾 散卷惜裳
 春雨(はるさめ)は 甚(いた)く勿降(なふ)りそ 櫻花(さくらばな) 未見無(いまだみな)くに 散(ち)らまく惜(を)しも
 紛紛春雨者 汝莫甚降零如是 可憐櫻花矣 尚未端詳賞翫間 倏然凋散誠可惜
佚名 1870

「甚(いた)く勿降(なふ)りそ」,禁止語法「な...そ」之上所用之「甚(いた)く」有過分之意。
「散(ち)らまく惜(を)しも」,「散らまく」乃「散らむ」之く句法,對於花謝之預想而為言。

1871 【承前,廿首十八。】
 春去者 散卷惜 梅花 片時者不咲 含而毛欲得
 春去(はるさ)れば 散(ち)らまく惜(を)しき 梅花(うめのはな) 片時(しまし)は咲(さ)かず 含(ふふ)みてもがも
 每逢春至者 倏然散落甚可昔 暗香梅花矣 還願片時暫不咲 留得含苞待人翫
佚名 1871

「片時(しまし)」,暫時。原文「片時」乃漢籍用法,多見於『遊仙窟』。

1872 【承前,廿首十九。】
 見渡者 春日之野邊爾 霞立 開艷者 櫻花鴨
 見渡(みわた)せば 春日野邊(かすがののへ)に 霞立(かすみた)ち 咲匂(さきにほ)へるは 櫻花(さくらばな)かも
 一眼望見去 寧樂春日野邊處 煙霞湧蕩而 花開一面爭豔者 概是盛咲櫻華矣
佚名 1872

「咲匂(さきにほ)へるは」,「匂」表光鮮亮麗、發光之狀。
「櫻花(さくらばな)かも」,「哉(かも)」乃詠嘆疑問詞。

1873 【承前,廿首二十。】
 何時鴨 此夜乃將明 鷪之 木傳落 梅花將見
 何時(いつしか)も 此夜明(このよのあ)けむ 鶯(うぐひす)の 木傳散(こづたひち)らす 梅花見(うめのはなみ)む
 還須待何時 漫漫此夜才將明 吾人有所思 欲見黃鶯傳枝頭 穿梭蹴散梅花矣
佚名 1873

「何時(いつしか)も」,要到何時。帶有期待早些之意圖。