補給物資、万葉集試訳

■補給物資


万葉集試訳

1874 詠月 【三首第一。】
 春霞 田菜引今日之 暮三伏一向夜 不穢照良武 高松之野爾
 春霞(はるかすみ) 棚引(たなび)く今日(けふ)の 夕月夜(ゆふづくよ) 清(きよ)く照(て)るらむ 高松野(たかまつのの)に
 春霞飄霏霺 高懸棚引今日之 夜暮夕月者 蓋當不穢清照臨 寧樂高松之野矣
佚名 1874

「春霞(はるかすみ) 棚引(たなび)く今日(けふ)の 夕月夜(ゆふづくよ)」,「夕月夜」指夕月本身。就第四句「清(きよ)く照(て)るらむ」之「らむ」觀之,此歌必為月出之後所詠。然而前兩句「春霞 棚引く」之朦朧與後句「清く照るらむ」清茢之對比差異令人存疑。或云於天霧之平城宮遠望月光照臨之高松。

1875 【承前,三首第二。】
 春去者 紀之許能暮之 夕月夜 欝束無裳 山陰爾指天【一云,春去者,木隱多,暮月夜。】
 春去(はるさ)れば 木木暗(きのこのく)れの 夕月夜(ゆふづくよ) 覺束無(おほつかな)しも 山蔭(やまかげ)にして【一云(またにいふ)、春去(はるさ)れば、木隱(こが)くを多(おほ)み、夕月夜(ゆふづくよ)。】
 每逢春臨者 森間木蔭之所蔽 夜暮夕月者 朦朧飄渺無覺束 隱於山因匿不見【一云,每逢春臨者,多隱木蔭為所遮,夜暮夕月者。】
佚名 1875

「春去(はるさ)れば」,與「覺束無(おほつかな)しも」呼應。
「木暗(このく)れ」,樹木下方之陰暗或遮蔽處。
「木隱(こが)くを多(おほ)み」,隱於木蔭之下之陰暗處。

1876 【承前,三首第三。】
 朝霞 春日之晚者 從木間 移歷月乎 何時可將待
 朝霞(あさかすみ) 春日暮(はるひのくれ)は 木間(このま)より 移(うつろ)ふ月(つき)を 何時(いつ)とか待(ま)たむ
 朝霞飄霏霺 春之日暮晚時者 木間之所現 飄忽移歷明月矣 究竟何時可待得
佚名 1876

「朝霞(あさかすみ)」,春日之枕詞。朝霞霏霺之春日。
「移(うつろ)ふ」,移動。
「何時(いつ)とか待(ま)たむ」,需要等到何時?通常用在希望渺茫之時。

1877 詠雨
 春之雨爾 有來物乎 立隱 妹之家道爾 此日晚都
 春雨(はるのあめ)に 有(あり)ける物(もの)を 立隱(たちかく)り 妹(いも)が家道(いへぢ)に 此日暮(このひく)らしつ
 分明春雨者 稀稀落落非激降 然以頻雨宿 人往妹家道途上 未拜妻眉日已慕
佚名 1877

「春雨(はるのあめ)に 有(あり)ける物(もの)を」,「物(もの)を」表逆接。分明春雨不會過於激烈,卻仍因此礙了行程。
「妹(いも)が家道(いへぢ)」,前往戀人居處之路上。

1878 詠河
 今徃而 聞物爾毛我 明日香川 春雨零而 瀧津湍音乎
 今行(いまゆ)きて 聞(き)く物(もの)にもが 明日香川(あすかがは) 春雨降(はるさめふ)りて 激荑音(たぎつせのおと)を
 今徃行去而 欲得聽聞冀逢時 明日香之川 飛鳥河上春雨降 洶湧湍急激荑音
佚名 1878

「聞(き)く物(もの)にもが」,以本句為述語而「激荑音(たぎつせのおと)を」為主格。
「激荑(たぎつせ)」,流水抨急之湍荑。

1879 詠煙
 春日野爾 煙立所見 媙嬬等四 春野之菟芽子 採而煮良思文
 春日野(かすがの)に 煙立(けぶりた)つ見(み)ゆ 娘子等(をとめら)し 春野嫁菜(はるののうはぎ) 摘(つ)みて煮(に)らしも
 遠眺春日野 炊煙裊裊今可見 蓋是娘子等 摘取春野嫁菜而 烹煮羹湯所至耶
佚名 1879

「嫁菜(うはぎ)」,菊科多年草。花色淡紫。春日莖芽蔓延地中,可掘之食用。
蓋與第十六卷竹取翁歌(3791)題詞「昔有老翁,號曰竹取翁也。此翁,季春之月,登丘遠望。忽值煮羹之九箇女子也。」呼應。 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m16.htm#3791 通常「娘子等(をとめら)」用於妻問、歌垣時場。

1880 野遊 【四首第一。】
 春日野之 淺茅之上爾 念共 遊今日 忘目八方
 春日野(かすがの)の 淺茅(あさぢ)が上(うへ)に 思共(おもふどち) 遊(あそ)ぶ今日日(けふのひ) 忘(わす)らえめやも
 寧樂春日野 淺茅叢生原野上 志同道合者 相與交遊今日日 永銘心頭豈忘哉
佚名 1880

「野遊(やいう)」,按3808左注,村間男女相聚歌垣者稱野遊。時與日進,民間習俗之野遊亦昇華作宮廷行事。往後四首,可謂度跨雅俗之遊樂。
「淺茅(あさぢ)」,低木茅草,稻科多年草,其花穗稚嫩者可食用。
「思共(おもふどち)」,親友、夥伴。

1881 【承前,四首第二。】
 春霞 立春日野乎 徃還 吾者相見 彌年之黃土
 春霞(はるかすみ) 立(た)つ春日野(かすがの)を 行歸(ゆきかへ)り 我(われ)は相見(あひみ)む 彌年每(いやとしのは)に
 春霞層湧兮 所立寧樂春日野 徃還每行歸 吾等相見觀彼野 歲歲年年彌翫之
佚名 1881

「我(われ)は相見(あひみ)む」,「見(み)む」之受詞雖為春日野,亦可解釋為一再往返春日野。
「彌年每(いやとしのは)に」,「彌(いや)」為彌更、一再之意。

1882 【承前,四首第三。】
 春野爾 意將述跡 念共 來之今日者 不晚毛荒粳
 春野(はるのの)に 心延(こころの)べむと 思共(おもふどち) 來(こ)し今日日(けふのひ)は 暮(く)れずも有(あ)らぬか
 春日原野間 欲將馳騁此心而 志同道合者 相與來兮今日日 還望察情莫早暮
佚名 1882

「心延(こころの)べむと」,舒展心情。
「暮(く)れずも有(あ)らぬか」,「ぬか」乃表希求之尾語。原文「荒粳(あらぬか)」乃自古語「籾粳(もみぬか)」之借訓。『名義抄』云「粳,あらぬか。」

1883 【承前,四首第四。】
 百礒城之 大宮人者 暇有也 梅乎插頭而 此間集有
 百敷(ももしき)の 大宮人(おほみやひと)は 暇有(いとまあ)れや 梅(うめ)を髻首(かざ)して 此間(ここ)に集(つど)へる
 百敷宮闈間 高雅殿上大宮人 蓋有輭暇耶 摘梅插頭為髻首 集於此間催遊興
佚名 1883

「暇有(いとまあ)れや」,「有れや」與「有ればや」同,疑問條件語。反語傾向強,一般有不當如此之含意。而此句卻非反語。當時京官,仕六休一,而原則上早朝出勤而正午退廳,午後、夜間勤務不多。
「此間(ここ)に集(つど)へる」,「集(つど)ひ」乃以某事物為中心聚集而來。『神樂歌』有「榊葉の 香を芳しみ 尋め来れば 八十氏人ぞ 円居せりける」之曲,此歌亦類似情境哉。

1884 歎舊 【二首第一。】
 寒過 暖來者 年月者 雖新有 人者舊去
 冬過(ふゆす)ぎて 春(はる)し來(きた)れば 年月(としつき)は 新(あら)たなれども 人(ひと)は舊徃ふりゆ)く
 寒冬既已過 暖春來兮萬象始 年月雖翻新 然歎空蟬浮身者 人唯古去舊往矣
佚名 1884

「冬過(ふゆす)ぎて 春(はる)し來(きた)れば」,原文「寒過 暖來者」,亦見於1844。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m10.htm#1844
劉希夷唐詩『代白頭吟』:「年年歲歲花相似,歲歲年年人不同。」之詩趣與之相近。

1885 【承前,二首第二。】
 物皆者 新吉 唯 人者舊之 應宜
 物皆(ものみな)は 新(あらた)しき良(よ)し 唯(ただ)しくも 人(ひと)は古(ふ)りにし 宜(よろし)かるべし
 顧見此世間 年年歲歲物皆新 雖然空蟬兮 歲歲年年人老去 理宜如此何歎哉
佚名 1885

「唯(ただ)しくも」,用以補足上述事柄之接續詞,與「唯(ただ)し」、「但(ただ)し」同。
承接上曲,或為連作,或為撫慰前曲歎老內容之答歌。

1886 懽逢
 住吉之 里行之鹿齒 春花乃 益希見 君相有香開
 住吉(すみのえ)の 里行(さとゆ)きしかば 春花(はるはな)の 彌珍(いやめづ)らしき 君(きみ)に逢(あ)へるかも
 墨江住吉之 姬松之里行之者 春華之所如 魂牽夢縈彌珍愛 吾君與逢我欣懽
佚名 1886

「住吉(すみのえ)の 里行(さとゆ)きしかば」,「しかば」乃偶然確定條件語。原文或書「住吉之 里得之鹿齒」,訛矣。
「彌珍(いやめづ)らしき」,「珍(めづ)らし」源自「愛(め)づらし」,於此既有愛慕亦有稀得相見之意。

1887 旋頭歌 【二首第一。】
 春日在 三笠乃山爾 月母出奴可母 佐紀山爾 開有櫻之 花乃可見
 春日(かすが)なる 三笠山(みかさのやま)に 月(つき)も出(い)でぬかも 佐紀山(さきやま)に 咲(さ)ける櫻(さくら)の 花(はな)の見(み)ゆべく
 寧樂春日之 御蓋三笠山頂上 皎潔明月可出哉 欲見京西北 佐紀山間開有之 櫻華絢爛咲狀矣
佚名 1887

「旋頭歌」,由五七七五七七組成之六句格式。
「月(つき)も出(い)でぬかも」,「ぬかも」乃希求語氣。
「佐紀山(さきやま)」,於平城京西北,挾京與東南之春日山對望。
「花(はな)の見(み)ゆべく」,此歌前三句表希求,而後三句闡明原因。

1888 【承前,二首第二。】
 白雪之 常敷冬者 過去家良霜 春霞 田菜引野邊之 鷪鳴焉
 白雪(しらゆき)の 常敷(つねし)く冬(ふゆ)は 過(す)ぎにけらしも 春霞(はるかすみ) 棚引(たなび)く野邊(のへ)の 鶯鳴(うぐひすな)くも
 皓皓白雪之 積降常敷籠冬者 蓋已既過萬象新 春霞飄霏霺 高掛天頭野邊間 黃鶯出谷報春暖
佚名 1888

「常敷(つねし)く」,零雪不斷,積置於地。
「鶯鳴(うぐひすな)くも」,原文「焉」表詠嘆之情。

1889 譬喻歌
 吾屋前之 毛桃之下爾 月夜指 下心吉 菟楯頃者
 我(わ)が宿(やど)の 毛桃下(けもものした)に 月夜射(つくよさ)し 下心快(したこころよ)し 別樣此頃(うたてこのころ)
 吾宿屋前之 毛桃之下月夜射 灑落臨照地 此心此情難言諭 胸懷別樣此頃時
佚名 1889

「毛桃下(けもものした)に」,毛桃乃桃之品種名,下指木陰。
「下心快(したこころよ)し」,五味雜陳之奇妙之心情。
「別樣(うたて)」,與一般人之性向相異,或稱與自身平常之心理有別。
寓意不明,或稱祝女兒初潮之曲,或稱表達初嘗女性喜絓之歌。

春相聞
1890 春相聞 【七首第一。】
 春山 友鷪 鳴別 眷益間 思御吾
 春山(はるやま)の 友鶯(ともうぐひす)の 泣別(なきわか)れ 歸坐(かへりま)す間(ま)も 思(おも)ほせ我(あれ)を
 春日山林中 友鶯泣別發啼聲 離情依依兮 如是歸向別去間 還願繫吾在心頭
柿本人麻呂 1890

「春山(はるやま)の 友鶯(ともうぐひす)の」,引出第三句「泣別(なきわか)れ」之序。如鶯般鳴泣道別之意。

1891 【承前,七首第二。】
 冬隱 春開花 手折以 千遍限 戀渡鴨
 冬隱(ふゆごも)り 春咲(はるさ)く花(はな)を 手折持(たをりも)ち 千度限(ちたびのかぎ)り 戀渡(こひわた)るかも
 籠冬日已遠 手折新春咲妍花 取持將來者 千遍之限情無盡 戀慕不止永銘心
柿本人麻呂 1891

「手折持(たをりも)ち」,心念對象而折枝之狀。
「千度限(ちたびのかぎ)り」,無限。

1892 【承前,七首第三。】
 春山 霧惑在 鷪 我益 物念哉
 春山(はるやま)の 霧(きり)に惑(まと)へる 鶯(うぐひす)も 我(あれ)に益(まさ)りて 物思(ものおも)ふらめや
 春日山林中 煙霧瀰漫籠霏霺 其間黃鶯者 迷濛無方勝吾身 沉溺物憂惑思哉
柿本人麻呂 1892

「春山(はるやま)の 霧(きり)に惑(まと)へる」,自上代語起,多以霞喻春,霧稱秋。而本歌為例外之一。黃鶯為濃霧籠罩,迷途之狀。
「物思(ものおも)ふらめや」,「らめや」乃現在推量「らむ」之反語形式。舊訓「物思(ものおも)はめや」,此依『類聚古集』作「物思(ものおも)ふらめや」。

1893 【承前,七首第四。】
 出見 向岡 本繁 開在花 不成不止
 出(いで)て見(み)る 向岡(むかひのをか)に 本茂(もとしげ)く 咲(さ)きたる花(はな)の 成(な)らずは止(や)まじ
 出戶放眼望 向丘之上草木茂 所咲妍華盛 吾人不棄亦如斯 豈將未實終徒花
柿本人麻呂 1893

1893
「本茂(もとしげ)く 咲(さ)きたる花(はな)の」,「本茂(もとしげ)く」指接近根源之處所分枝之小枝亦花葉繁茂,比喻心中懇意之狀。
「成(な)らずは止(や)まじ」,此云在未結實之前將不會輕易中止。

1894 【承前,七首第五。】
 霞發 春永日 戀暮 夜深去 妹相鴨
 霞立(かすみた)つ 春長日(はるのながひ)を 戀暮(こひく)らし 夜(よ)も更行(ふけゆ)くに 妹(いも)も逢(あ)はぬ哉(かも)
 心繫煙霞湧 春暖和煦日之長 戀如此慕間 不覺今宵夜已深 還願有望與妹逢
柿本人麻呂 1894

「妹(いも)も逢(あ)はぬ哉(かも)」,「ぬ哉(かも)」表希求。祈望今夜有緣相逢。

1895 【承前,七首第六。】
 春去 先三枝 幸命在 後相 莫戀吾妹
 春去(はるさ)れば 先三枝(まづさきくさ)の 幸(さき)くあらば 後(のち)にも逢(あ)はむ 莫戀(なこ)ひそ我妹(わぎも)
 每逢春日臨 先咲三枝之所如 幸命無恙者 其後必當復相逢 莫愁戀苦吾妹矣
柿本人麻呂 1895

「春去(はるさ)れば 先三枝(まづさきくさ)の」,以「三枝(さきくさ)」與「幸(さき)」雙關而為其序。
「幸(さき)く」,無恙。
「後(のち)にも逢(あ)はむ」,縱然今日無緣,但將來當可相會。

1896 【承前,七首第七。】
 春去 為垂柳 十緒 妹心 乘在鴨
 春去(はるさ)れば 垂柳(しだりやなぎ)の 撓(とをを)にも 妹(いも)は心(こころ)に 乘(の)りにけるかも
 每逢春臨者 楊柳垂枝隨風動 搖曳撓其絮 親親吾妹在我心 繚繞不絕據胸懷
柿本人麻呂 1896
 右,柿本朝臣人麻呂歌集出。

「撓(とをを)にも」,因自重而撓屈之壯,有穩重窈窕而憶及佳人之情。
「妹(いも)は心(こころ)に 乘(の)りにけるかも」,此云心中皆為所愛之人佔去。

1897 寄鳥 【二首第一。】
 春之在者 伯勞鳥之草具吉 雖不所見 吾者見將遣 君之當乎婆
 春去(はるさ)れば 伯勞鳥草潛(もずのかやぐ)き 見(み)えずとも 我(あれ)は見遣(みや)らむ 君(きみ)が邊(あた)りをば
 每逢春臨者 伯勞鳥之潛草間 其雖不可見 然吾將眺仔細望 端詳君許尋光儀
佚名 1897

「伯勞鳥草潛(もずのかやぐ)き」,「潛(ぐ)き」乃穿梭之貌。
「見(み)えずとも」,即便為春霞籠罩而無法眺望。

1898 【承前,二首第二。】
 容鳥之 間無數鳴 春野之 草根乃繁 戀毛為鴨
 貌鳥(かほどり)の 間無(まな)く數鳴(しばな)く 春野(はるのの)の 草根繁(くさねのしげ)き 戀(こひ)もするかも
 貌鳥閑古鳥 頻鳴無間喚不止 繚繞春野間 草根繁茂無絕處 吾心亦亂以戀繁
佚名 1898

「春野(はるのの)の 草根繁(くさね)」,引出後文「繁(しげ)き」之序。繁字上承草木密接,後繼相思不止。

1899 寄花 【九首第一。】
 春去者 宇乃花具多思 吾越之 妹我垣間者 荒來鴨
 春去(はるさ)れば 卯花腐(うのはなぐた)し 我(わ)が越(こ)えし 妹(いも)が垣間(かきま)は 荒(あ)れにけるかも
 每逢春臨者 絡繹不絕吾頻訪 卯花傷而腐 佳人舊日垣間者 今頃蓋已荒漫哉
佚名 1899

「春去(はるさ)れば」,接第三句「我が越えし」,則可知乃回想過去習慣之語。
「卯花腐(うのはなぐた)し」,頻繁來訪,傷及卯花令其腐謝。
「我(わ)が越(こ)えし」,與戀人幽會,跨越牆垣潛行之狀。
蓋是訪問戀人故居,見彼庭園荒廢之懷舊之曲。

1900 【承前,九首第二。】
 梅花 咲散苑爾 吾將去 君之使乎 片待香花光
 梅花(うめのはな) 咲散(さきち)る園(その)に 我行(われゆ)かむ 君(きみ)が使(つかひ)を 片待難(かたまちがて)り
 暗香白梅花 花開花落汝苑矣 今日吾將往 久盼君使仍不來 更難長待忍相思
佚名 1900

「片待難(かたまちがて)り」,單方、一昧地等待。原文「花光(てり)」乃唐詩表示花朵輝照之借訓。
4041類歌重出。

1901 【承前,九首第三。】
 藤浪 咲春野爾 蔓葛 下夜之戀者 久雲在
 藤波(ふぢなみ)の 咲(さ)く春野(はるのの)に 延葛(はふくず)の 下(した)よし戀(こ)ひば 久(ひさ)しくもあらむ
 藤浪波濤之 所咲一面春野間 蔓葛之所如 不為人知隱忍者 此戀年久成就緩
佚名 1901

「藤波(ふぢなみ)の」,以藤花隨風搖曳之狀比作波浪之雅語。
「延葛(はふくず)の」,葛乃秋草七種之一,延指不為人知地蔓延地中。
「下(した)よし戀(こ)ひば」,「下(した)」指目所不見之處,「よ」與「より」同,經由。
「久(ひさ)しくもあらむ」,(因為隱秘忍耐之故,)戀愛成就歷時長久。

1902 【承前,九首第四。】
 春野爾 霞棚引 咲花乃 如是成二手爾 不逢君可母
 春野(はるのの)に 霞棚引(かすみたなび)き 咲花(さくはな)の 如是(かく)なる迄(まで)に 逢(あ)はぬ君(きみ)かも
 嗚呼春野間 煙霞棚引罩霏霺 於焉咲花者 直至今日如是而 不與相逢吾君矣
佚名 1902

「如是(かく)なる迄(まで)に」,「如是(かく)」乃現場指示用法。直至如此而。至於係指咲花滿開或落盡則不明。

1903 【承前,九首第五。】
 吾荑子爾 吾戀良久者 奥山之 馬醉花之 今盛有
 我(わ)が背子(せこ)に 我(あ)が戀(こ)ふらくは 奥山(おくやま)の 馬醉木花(あしびのはな)の 今盛也(いまさかりなり)
 親親吾兄子 妾身戀慕此情者 猶若深山之 人跡罕至處所綻 馬醉木花今盛也
佚名 1903

「奥山(おくやま)の 馬醉木花(あしびのはな)の」,以人跡罕至之深山,比喻深埋自身心中不為人知之情感。

1904 【承前,九首第六。】
 梅花 四垂柳爾 折雜 花爾供養者 君爾相可毛
 梅花(うめのはな) 垂柳(しだりやなぎ)に 折交(をりまじ)へ 花(はな)に供(そな)へば 君(きみ)に逢(あ)はむ哉(かも)
 手折白梅花 交雜纖細垂柳枝 今以此妍花 作為供養求冥貺 可與君命得逢哉
佚名 1904

「花(はな)に供(そな)へば」,以此花獻與神佛,祈求與戀人相會。原文「供養」者乃佛語。

1905 【承前,九首第七。】
 姬部思 咲野爾生 白管自 不知事以 所言之吾背
 女郎花(をみなへし) 佐紀野(さきの)に生(お)ふる 白躑躅(しらつつじ) 知(し)らぬ事以(ことも)て 言(い)はれし我(わ)が背(せ)
 妍哉女郎花 花咲滿開佐紀野 所生白躑躅 流言蜚語事無根 兄子莫煩不諳事
佚名 1905

「女郎花(をみなへし)」,秋草七種之一。以為地名「佐紀野(さきの)=咲野(さきの)」之枕詞。
「白躑躅(しらつつじ)」,以同音引出後句「知(し)らぬ」之事。
憐惜戀人受無根謠言所煩之曲。

1906 【承前,九首第八。】
 梅花 吾者不令落 青丹吉 平城之人 來管見之根
 梅花(うめのはな) 我(われ)は散(ち)らさじ 青丹吉(あをによ)し 奈良(なら)なる人(ひと)も 來(き)つつ見(み)るがね
 暗香浮動兮 梅花吾者不令落 青丹良且秀 平城之人每來時 欲使翫之共賞矣
佚名 1906

「青丹吉(あをによ)し」,奈良之枕詞。
「來(き)つつ見(み)るがね」,「つつ」表持續,「がね」表願望。
贈於平城京之男性,希望其能來此賞花相見。

1907 【承前,九首第九。】
 如是有者 何如殖兼 山振乃 止時喪哭 戀良苦念者
 如是(かく)しあらば 何(なに)か植(う)ゑけむ 山吹(やまぶき)の 止時(やむとき)も無(な)く 戀(こ)ふらく思(おも)へば
 早知如此者 當初何以手植哉 顧思山吹之 全無效驗違彼名 吾之戀苦無歇時
佚名 1907

「如是(かく)しあらば」,「如是」指第四五句之「止時(やむとき)も無(な)く 戀(こ)ふらく思(おも)へば」。
「何(なに)か植(う)ゑけむ」,「何(なに)」為疑問副詞,此用於反語。
「山吹(やまぶき)の」,以「山吹(やまぶき)」雙關「止時(やむとき)」。種植山吹花,期望慰藉相思之痛,卻權無效驗之曲。家持4185意境與之相近。

1908 寄霜
 春去者 水草之上爾 置霜乃 消乍毛我者 戀度鴨
 春去(はるさ)れば 水草上(みくさのうへ)に 置霜(おくしも)の 消(け)につつも我(あれ)は 戀渡(こひわた)るかも
 每逢春臨者 岸邊叢生水草上 置霜之所如 吾人魂銷殆毀滅 憂於戀苦愁相思
佚名 1908

水草上(みくさのうへ)に」,生於水邊之艸。
「置霜(おくしも)の」,以上,引出「消(け)」之序。
「消(け)につつ」,心痛至極,殆將毀滅之狀。

1909 寄霞 【六首第一。】
 春霞 山棚引 欝 妹乎相見 後戀毳
 春霞(はるかすみ) 山(やま)に棚引(たなび)き 欝(おほほし)く 妹(いも)を相見(あひみ)て 後戀(のちこ)ひむかも
 其猶春霞之 瀰漫棚引此山間 迷濛飄渺而 雖與佳人相會晤 其後仍當苦戀煩
佚名 1909

「春霞(はるかすみ) 山(やま)に棚引(たなび)き」,「欝(おほほし)く」之序。
「欝(おほほし)く」,事物不明瞭之狀。或云相會之處,或云當下心情,意猶未盡。
類歌2449。