補給物資、万葉集試訳

■補給物資


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万葉集試訳

1934 【承前,十一第九。】
 相不念 妹哉本名 菅根乃 長春日乎 念晚牟
 相思(あひおも)はぬ 妹(いも)をや元無(もとな) 菅根(すがのね)の 長(なが)き春日(はるひ)を 思暮(おもひく)らさむ
 落花雖有意 流水無情此妹矣 菅根之所如 春之日長吾終日 心繫伊人不得報
佚名 1934

「相思(あひおも)はぬ」,並非相思相愛之關係。
「妹(いも)をや元無(もとな)」,「や」表詠嘆疑問。
「菅根(すがのね)の」,「長(なが)き」之枕詞。

1935 【承前,十一第十。】
 春去者 先鳴鳥乃 鷪之 事先立之 君乎之將待
 春去(はるさ)れば 先鳴(まづな)く鳥(とり)の 鶯(うぐひす)の 言先立(ことさきだ)ちし 君(きみ)をし待(ま)たむ
 每逢春日臨 先鳴報暖啼春鳥 黃鶯之所如 吾人待君發先聲 隱忍嘿默藏深情
佚名 1935

「鶯(うぐひす)の」,以上,帶出「言先立(ことさきだ)ち」之序。鶯乃報春之鳥,先於萬物告知春臨,本歌用於比喻最速與己求婚之男子。
以上,五對問答終於此曲。

1936 【承前,十一十一。】
 相不念 將有兒故 玉緒 長春日乎 念晚久
 相思(あひおも)はず あるらむ兒故(こゆゑ) 玉緒(たまのを)の 長(なが)き春日(はるひ)を 思暮(おもひく)らさく
 落花雖有意 流水無情佳人故 魂絲玉緒之 春之日長吾終日 心繫伊人不得償
佚名 1936

「相思(あひおも)はず あるらむ兒故(こゆゑ)」,因對自身無情之女方之故。
「玉緒(たまのを)の」,「長(なが)き」之枕詞。
「思暮(おもひく)らさく」,「暮(く)らさく」乃「暮(く)らす」之く句法。原文「念晚久」或本作「念晚久(思暮(おもひく)らさむ)」。


夏雜歌

1937 詠鳥 【廿七第一。】
 大夫之 出立向 故鄉之 神名備山爾 明來者 柘之左枝爾 暮去者 小松之若末爾 里人之 聞戀麻田 山彥乃 答響萬田 霍公鳥 都麻戀為良思 左夜中爾鳴
 大夫(ますらを)の 出立向(いでたちむか)ふ 故鄉(ふるさと)の 神奈備山(かむなびやま)に 明來(あけく)れば 柘小枝(つみのさえだ)に 夕去(ゆふさ)れば 小松(こまつ)が末(うれ)に 里人(さとびと)の 聞戀(ききこ)ふる迄(まで) 山彥(やまびこ)の 相響(あひとよ)む迄(まで) 霍公鳥(ほととぎす) 妻戀(つまご)ひすらし 小夜中(さよなか)に鳴(な)く
 大夫益荒男 出外放眼望見者 飛鳥舊京之 故鄉神奈備之山 每逢朝明時 繚繞山桑柘小枝 又臨暮晚時 迴盪小松末梢間 鄉里人家之 聽而更復欲聞矣 山彥回音之 迴響其聲更不絕 杜鵑不如歸 霍公鳥者戀嬌妻 鳴泣啼血小夜中
佚名 1937

「大夫(ますらを)」,身心堅毅之男子。主要為四五位中級官員之自稱。此曲帶有自負之情。
「故鄉(ふるさと)」,飛鳥舊京。針對藤原新京而言。
「明來(あけく)れば」,與後文「夕去(ゆふさ)れば」相對。按末句可之本歌詠在深夜。
「柘小枝(つみのさえだ)に」,柘乃山桑。自生山地之落葉高木。
「聞戀(ききこ)ふる迄(まで)」,想要一聞再聞地期盼。
「山彥(やまびこ)の 相響(あひとよ)む迄(まで)」,山彥乃回音之擬人化表現。


1938 反歌 【承前,廿七第二。承前,反歌。】
 客爾為而 妻戀為良思 霍公鳥 神名備山爾 左夜深而鳴
 旅(たび)にして 妻戀(つまご)ひすらし 霍公鳥(ほととぎす) 神奈備山(かむなびやま)に 小夜更(さよふ)けて鳴(な)く
 蓋是羈旅而 客在異鄉慕妻哉 嗚呼霍公鳥 徬徨神奈備山間 鳴泣啼血小夜中
佚名 1938
 右,古歌集中出。

「旅(たび)にして」,旅止離家在外。此云霍公鳥一時滯留飛鳥神奈備一代,思念家中妻子而言。

1939 【承前,廿七第三。】
 霍公鳥 汝始音者 於吾欲得 五月之珠爾 交而將貫
 霍公鳥(ほととぎす) 汝(な)が初聲(はつこゑ)は 我(われ)に欲得(こせ) 五月玉(さつきのたま)に 交(まじ)へて貫(ぬ)かむ
 杜鵑不如歸 霍公鳥兮汝初聲 於吾欲得矣 交於五月藥玉間 貫在綵絲長命縷
佚名 1939

「我(われ)に欲得(こせ)」,「こせ」乃「くれ」之意。
「五月玉(さつきのたま)」,端午藥玉,長命縷。
「交(まじ)へて貫(ぬ)かむ」,想將令人憐愛之郭公啼聲貫於藥玉久留。

1940 【承前,廿七第四。】
 朝霞 棚引野邊 足檜木乃 山霍公鳥 何時來將鳴
 朝霞(あさかすみ) 棚引(たなび)く野邊(のへ)に 足引(あしひき)の 山霍公鳥(やまほととぎす) 何時(いつ)か來鳴(きな)かむ
 朝霞飄霏霺 瀰漫霧籠野邊間 足曳勢險峻 山霍公鳥不如歸 待至何時方來鳴
佚名 1940

「朝霞(あさかすみ)」,春日之代表景色。依此或應歸納於春歌,而編排順後文所出之霍公鳥故收於夏雜歌。原文底本多作朝霞,而元曆校本與赤人集作朝霧。
「何時(いつ)か來鳴(きな)かむ」,「何時(いつ)か」與「何時(いつ)しか」相類,熱切期盼之情。

1941 【承前,廿七第五。】
 旦霧 八重山越而 喚孤鳥 吟八汝來 屋戶母不有九二
 朝霧(あさぎり)の 八重山越(やへやまこ)えて 呼子鳥(よぶこどり) 鳴(な)きや汝(な)が來(く)る 宿(やど)も有(あ)ら無(な)くに
 朝霧層湧立 八重山兮今飛越 嗚呼喚子鳥 汝者千里鳴渡來 無宿可棲不為意
佚名 1941

「朝霧(あさぎり)の」,「八重山(やへやま)」之枕詞。此云雲霧層層湧出。原文或本云旦霞。
呼子鳥(よぶこどり)」,唯本曲詠之為夏鳥
「宿(やど)も有(あ)ら無(な)くに」,明明此地無處棲身,仍千里而來。

1942 【承前,廿七第六。】
 霍公鳥 鳴音聞哉 宇能花乃 開落岳爾 田葛引娍嬬
 霍公鳥(ほととぎす) 鳴(な)く聲聞(こゑき)くや 卯花(うのはな)の 咲散(さきち)る岡(をか)に 葛引(くずひ)く娘子(をとめ)
 杜鵑霍公鳥 郭公鳴聲可聞哉 於茲卯華之 花開花落此岡邊 摘除田葛娘子矣
佚名 1942

「葛引(くずひ)く娘子(をとめ)」,拔除田中雜艸。原文或作「田草」,蓋「田葛」之訛。

1943 【承前,廿七第七。】
 月夜吉 鳴霍公鳥 欲見 吾草取有 見人毛欲得
 月夜良(つくよよ)み 鳴(な)く霍公鳥(ほととぎす) 見(み)まく欲(ほ)り 我草取(われくさと)れり 見(み)む人(ひと)もがも
 月夜美且秀 欲見杜鵑霍公鳥 於此良宵間 吾人摘草手執之 欲得佳人與共賞
佚名 1943

「月夜良(つくよよ)み」,月色美麗、極好。
「我草取(われくさと)れり」,或云與前曲「葛引(くずひ)く」呼應。

1944 【承前,廿七第八。】
 藤浪之 散卷惜 霍公鳥 今城岳𠮧 鳴而越奈利
 藤波(ふぢなみ)の 散(ち)らまく惜(をし)み 霍公鳥(ほととぎす) 今城岡(いまきのをか)を 鳴(な)きて越(こ)ゆ也(なり)
 蓋是惋藤浪 徒然散去甚可惜 杜鵑霍公鳥 飛越今城岡頂上 鳴渡大虛啼欷歔
佚名 1944

「今城岡(いまきのをか)を」,原文「𠮧」與「叫」同。
「鳴(な)きて越(こ)ゆ也(なり)」,「なり」乃傳聞推定。

1945 【承前,廿七第九。】
 旦霧 八重山越而 霍公鳥 宇能花邊柄 鳴越來
 朝霧(あさぎり)の 八重山越(やへやまこ)えて 霍公鳥(ほととぎす) 卯花邊(うのはなへ)から 鳴(な)きて越來(こえき)ぬ
 朝霧層湧立 八重山兮今飛越 杜鵑霍公鳥 經由卯花所咲邊 翱翔鳴渡臨來矣

「朝霧(あさぎり)の」,八重山之枕詞。
「卯花邊(うのはなへ)から」,「から」於茲表經由。

1946 【承前,廿七第十。】
 木高者 曾木不殖 霍公鳥 來鳴令響而 戀令益
 木高(こだか)くは 曾(かつ)て木植(きう)ゑじ 霍公鳥(ほととぎす) 來鳴響(きなきとよ)めて 戀筯(こひまさ)らしむ
 早知茂如此 不曾植木令樹高 杜鵑霍公鳥 來鳴令響不如歸 泣聲每催相思愁
佚名 1946

「木高(こだか)く」,木梢高聳。
「曾(かつ)て」,與否定詞並用為「絕對」之意。
「戀筯(こひまさ)らしむ」,杜鵑、喚子鳥、鴈等,人聞其啼聲而催促憂情者,以此指謫鳥類之用法。

1947 【承前,廿七十一。】
 難相 君爾逢有夜 霍公鳥 他時從者 今社鳴目
 逢難(あひがた)き 君(きみ)に逢(あ)へる夜(よ) 霍公鳥(ほととぎす) 他時(あたしとき)ゆは 今(いま)こそ鳴(な)かめ
 難得與君逢 今宵相晤值千金 杜鵑霍公鳥 當知此刻別他時 知趣鳴囀而可矣
佚名 1947

「他時(あたしとき)ゆは」,「他(あた)し」乃表相異之形容詞。「ゆ」乃表示與之比較之基準之介詞。
「今(いま)こそ鳴(な)かめ」,「こそ...め」乃勸誘語句。

1948 【承前,廿七十二。】
 木晚之 暮闇有爾【一云,有者。】 霍公鳥 何處乎家登 鳴渡良武
 木暗(このくれ)の 夕闇(ゆふやみ)なるに【一云(またにいふ)、なれば。】 霍公鳥(ほととぎす) 何處(いづく)を家(いへ)と 鳴渡(なきわた)るらむ
 木蔭陰暗處 每逢夕闇日暮時【一云,每逢夕闇日暮者。】 杜鵑霍公鳥 汝以何處為棲家 鳴渡虛空啼泣哉
佚名 1948

「木暗(このくれ)の」,樹蔭處。
「夕闇(ゆふやみ)なるに」,「夕闇(ゆふやみ)」乃月齡十六日以後,日沒以降月出之前無光之時間帶。「に」表時間格而「ば」表理由。
「何處(いづく)を家(いへ)と」,以何處為家?「と」乃「として」之意。其後省略表疑問之係助詞「か」。

1949 【承前,廿七十三。】
 霍公鳥 今朝之旦明爾 鳴都流波 君將聞可 朝宿疑將寐
 霍公鳥(ほととぎす) 今朝朝明(けさのあさけ)に 鳴(な)きつるは 君聞(きみき)きけむか 朝寐(あさい)か寢(ね)けむ
 杜鵑霍公鳥 今朝旦明晨曦間 不如歸之鳴 吾君可曾耳聞哉 抑或朝寐在夢鄉
佚名 1949

「鳴(な)きつるは」,方才之鳴聲。
「朝寐(あさい)か寢(ね)けむ」,「寐(い)」乃睡眠,並列兩項疑問句者,往往以後句為重。此句蘊有戲笑之情。

1950 【承前,廿七十四。】
 霍公鳥 花橘之 枝爾居而 鳴響者 花波散乍
 霍公鳥(ほととぎす) 花橘(はなたちばな)の 枝(えだ)に居(ゐ)て 鳴響(なきとよ)もせば 花(はな)は散(ち)りつつ
 杜鵑霍公鳥 來於花橘木葉間 停歇細枝上 鳴囀發啼響盪者 花隨其音散紛紛
佚名 1950

「花橘(はなたちばな)の」,開花之橘木。
「花(はな)は散(ち)りつつ」,「つつ」表狀態之持續。

1951 【承前,廿七十五。】
 慨哉 四去霍公鳥 今社者 音之干蟹 來喧響目
 慨(うれたき)や 醜霍公鳥(しこほととぎす) 今(いま)こそば 聲嗄(こゑのか)るがに 來鳴響(きなきとよ)めめ
 嗚呼慨哉矣 醜兮駑鈍霍公鳥 此時此刻者 汝當高啼令聲嗄 來喧鳴響識機微
佚名 1951

「慨(うれたき)や」,不滿之狀。此云杜鵑平時喧囂惱人,今遇該鳴之時卻不發聲。
「醜霍公鳥(しこほととぎす)」,醜乃用於辱罵不快之對象之語。
「聲嗄(こゑのか)るがに」,「がに」乃表示程度之副詞。現在就算喊到沙啞也無所謂。
「來鳴響(きなきとよ)めめ」,與1947「今(いま)こそ鳴(な)かめ」皆蓋為有人來訪時之所詠。

1952 【承前,廿七十六。】
 今夜乃 於保束無荷 霍公鳥 喧奈流聲之 音乃遙左
 今夜(こよひ)の 覺束無(おほつかな)きに 霍公鳥(ほととぎす) 鳴(な)くなる聲(こゑ)の 音遙(おとのはる)けさ
 今宵無覺束 朦朧月夜視界茫 杜鵑霍公鳥 所鳴喧聲甚髣髴 其音渺遠囀遙遙
佚名 1952

「覺束無(おほつかな)きに」,此云朧月夜之夜色昏暗。「に」表時間。
「鳴(な)くなる聲(こゑ)の」,「なる・なり」表傳聞推定。

1953 【承前,廿七十七。】
 五月山 宇能花月夜 霍公鳥 雖聞不飽 又鳴鴨
 五月山(さつきやま) 卯花月夜(うのはなづくよ) 霍公鳥(ほととぎす) 聞(き)けども飽(あ)かず 復鳴(またな)かぬかも
 夏日五月天 山間卯花盛一面 花咲月夜間 霍公鳥聲聽不厭 還願更鳴令聞賞
佚名 1953

五月山(さつきやま)」,五月時分之山,非固有名詞。
「卯花月夜(うのはなづくよ)」,卯花綻開之月夜。
「復鳴(またな)かぬかも」「ぬか」表希求。

1954 【承前,廿七十八。】
 霍公鳥 來居裳鳴香 吾屋前乃 花橘乃 地二落六見牟
 霍公鳥(ほととぎす) 來居(きゐ)も鳴(な)かぬか 我(わ)が宿(やど)の 花橘(はなたちばな)の 地(つち)に落(お)ちむ見(み)む
 杜鵑霍公鳥 還願來居暢啼鳴 願翫吾宿間 庭院花橘負雀動 翩然舞落飄風流
佚名 1954

「地(つち)に落(お)ちむ見(み)む」,以賞腕受郭公雀動而零落之花橘為風流。

1955 【承前,廿七十九。】
 霍公鳥 厭時無 菖蒲 蘰將為日 從此鳴度禮
 霍公鳥(ほととぎす) 厭時無(いとふときな)し 菖蒲草(あやめぐさ) 蘰(かづら)に為(せ)む日(ひ) 此(こ)ゆ鳴渡(なきわた)れ
 杜鵑霍公鳥 吾翫汝聲無厭時 五月端午節 菖蒲為蘰飾首日 願能從此鳴渡矣
佚名 1955

「厭時無(いとふときな)し」,「厭(いと)ふ」為感到不快,進而背離、疏遠。
「菖蒲草(あやめぐさ) 蘰(かづら)に為(せ)む日(ひ)」,端午以菖蒲為蘰,可以避邪除病。
4035重出。

1956 【承前,廿七二十。】
 山跡庭 啼而香將來 霍公鳥 汝鳴每 無人所念
 大和(やまと)には 鳴(な)きてか來(く)らむ 霍公鳥(ほととぎす) 汝(な)が鳴(な)く每(ごと)に 亡人思(なきひとおも)ほゆ
 磯輪上秀真 大和國中啼將來 杜鵑霍公鳥 每聞汝之鳴泣聲 更摧悲戚念故人
佚名 1956

「大和(やまと)には 鳴(な)きてか來(く)らむ」,在大和鳴過之後,應當將來此地發聲了。本歌蓋在吉野所詠。當時吉野設有吉野監,視為大和之域外。
「亡人思(なきひとおも)ほゆ」,古俗以為杜鵑乃與靈界通訊之使者。

1957 【承前,廿七廿一。】
 宇能花乃 散卷惜 霍公鳥 野出山入 來鳴令動
 卯花(うのはな)の 散(ち)らまく惜(を)しみ 霍公鳥(ほととぎす) 野(の)に出(い)で山(やま)に入(い)り 來鳴響(きなきとよ)もす
 蓋是惋卯花 徒然散去甚可惜 杜鵑霍公鳥 出入原野巡山間 來回鳴響啼欷歔
佚名 1957

「散(ち)らまく惜(を)しみ」,與1944同,主語為杜鵑。

1958 【承前,廿七廿二。】
 橘之 林乎殖 霍公鳥 常爾冬及 住度金
 橘(たちばな)の 林(はやし)を植(う)ゑむ 霍公鳥(ほととぎす) 常(つね)に冬迄(ふゆまで) 棲渡(すみわた)るがね
 手植橘苗而 聚木為林欲使茂 還願霍公鳥 常棲此處及於冬 是以手植造橘林
佚名 1958

「林(はやし)を植(う)ゑむ」,種植眾木以造林。
「棲渡(すみわた)るがね」,「がね」表目的。

1959 【承前,廿七廿三。】
 雨𣋠之 雲爾副而 霍公鳥 指春日而 從此鳴度
 雨晴(あまばれ)の 雲(くも)に副(たぐ)ひて 霍公鳥(ほととぎす) 春日(かすが)を指(さ)して 此(こ)ゆ鳴渡(なきわた)る
 副於雨𣋠之 卷雲相伴而臨矣 杜鵑霍公鳥 指向春日翔東天 從此鳴渡劃大虛
佚名 1959

「雨晴(あまばれ)の」,「𣋠」乃雨後放情之安和天氣。
「雲(くも)に副(たぐ)ひて」,雨止天晴,雲往冬去,杜鵑亦隨之飛越奈良上空之景。

1960 【承前,廿七廿四。】
 物念登 不宿旦開爾 霍公鳥 鳴而左度 為便無左右二
 物思(ものおもふ)と 寐(いね)ぬ朝明(あさけ)に 霍公鳥(ほととぎす) 鳴(な)きて小渡(さわた)る 術無迄(すべなきまで)に
 傷神浸憂思 失眠不寐朝明時 杜鵑霍公鳥 鳴渡大虛泣唏噓 啼聲淒絕察吾情
佚名 1960

「物思(ものおもふ)と」,此云失眠之原因。
「鳴(な)きて小渡(さわた)る 術無迄(すべなきまで)に」,此云杜鵑察作者之情,為之啼泣,喚聲哀絕不能已。


1961 【承前,廿七廿五。】
 吾衣 於君令服與登 霍公鳥 吾乎領 袖爾來居管
 我(あ)が衣(ころも) 君(きみ)に著(き)せよと 霍公鳥(ほととぎす) 我(われ)を領(うながす) 袖(そで)に來居(きゐ)つつ
 欲使我夫君 令著吾衣在裳下 杜鵑霍公鳥 好似要來促我者 來居袖上囀不停
佚名 1961

「我(あ)が衣(ころも) 君(きみ)に著(き)せよと」,古代內衣如杉、汗衫之類,樣式無男女之別。夫婦、戀人之疇,或交換受授,以示親愛之情。此歌蓋作者贈衣所添之曲。
「我(われ)を領(うながす)」,「領(うながす)」乃摧促之意。原文「領」字為「引率、督促」之用。
以杜鵑鳴聲比喻催促著衣之曲。

1962 【承前,廿七廿六。】
 本人 霍公鳥乎八 希將見 今哉汝來 戀乍居者
 本人(もとつひと) 霍公鳥(ほととぎす)をや 珍(めづら)しみ 今(いま)か汝(な)が來(こ)し 戀(こ)ひつつ居(を)れば
 長年情誼昵 故交舊友霍公鳥 吾慕汝身形 所念今哉汝來歟 引領期盼渡終日
佚名 1962

「本人(もとつひと)」,舊友。以每年定期來訪之霍公鳥比作故交。
「霍公鳥(ほととぎす)をや 珍(めづら)しみ」,「や」字本當置於「珍しみ」之後。此歌依格律而調整之。
「汝(な)が來(こ)し」,本歌以「汝」指男方,然多用「君」字為主流。

1963 【承前,廿七廿七。】
 如是許 雨之零爾 霍公鳥 宇乃花山爾 猶香將鳴
 如是許(かくばか)り 雨降(あめのふ)らくに 霍公鳥(ほととぎす) 卯花山(うのはなやま)に 猶(なほ)か鳴(な)くらむ
 傾盆零如注 雨降滂沱如此許 杜鵑霍公鳥 不畏天象險此疇 猶鳴卯花此山間
佚名 1963

「卯花山(うのはなやま)に」,卯花盛開之山中。
「猶(なほ)か鳴(な)くらむ」,「猶」字承接第二句,只分明為雨所濡,卻不卻步。

1964 詠蟬
 默然毛將有 時母鳴奈武 日晚乃 物念時爾 鳴管本名
 默(もだ)もあらむ 時(とき)も鳴(な)かなむ 蜩(ひぐらし)の 物思(ものおも)ふ時(とき)に 鳴(な)きつつ元無(もとな)
 還冀於默然 無慮之時亦能鳴 暮蟬蜩者矣 每逢吾人浸憂思 鳴泣莫名更催愁
佚名 1964

「默(もだ)もあらむ」,並非有所愁思,單純輭適之時。
「時(とき)も鳴(な)かなむ」,「鳴かなむ」於此表反事實之假想。
「蜩(ひぐらし)の」,於茲乃泛指蟬類之雅語。

1965 詠榛
 思子之 衣將揩爾 爾保比與 嶋之榛原 秋不立友
 思兒(おもふこ)が 衣摺(ころもす)らむに 匂(にほ)ひこそ 嶋榛原(しまのはりはら) 秋立(あきた)たずとも
 欲為魂所牽 夢縈伊人摺染之 斑衣添色豔 嶋地榛原願織紅 縱時節雖未立秋
佚名 1965

「思兒(おもふこ)が 衣摺(ころもす)らむに」,「思兒」表所愛之人。「が」標示主詞。「摺」字,原文多半寫本作「摺」,而廣荑本作「楷」,攷「揩」當更近原形。
「匂(にほ)ひこそ」,「匂ひ」本為赤色發散之意,此則表榛樹果葉轉紅之狀。「こそ」表希求。
「嶋榛原(しまのはりはら) 秋立(あきた)たずとも」,寓有戀人年幼,苦待其長大成人至足以結婚之意。

1966 詠花 【十首第一。】
 風散 花橘叫 袖受而 為君御跡 思鶴鴨
 風(かぜ)に散(ち)る 花橘(はなたちばな)を 袖(そで)に受(う)けて 君(きみ)が御跡(みあと)と 偲(しの)aひつるかも
 繽紛隨風散 花橘吹雪零絢爛 舉袖受其瓣 以為君之御跡而 縱情思慕念伊人
佚名 1966

「君(きみ)が御跡(みあと)と」,「御跡(みあと)」乃紀念之意。原文「為君御跡」舊訓「君(きみ)が御為(みため)と」,古時「為」蓋有「思之、見之」之意。君概指與橘有關之男子。

1967 【承前,十首第二。】
 香細寸 花橘乎 玉貫 將送妹者 三禮而毛有香
 芳(かぐは)しき 花橘(はなたちばな)を 玉(たま)に貫(ぬ)き 贈(おく)らむ妹(いも)は 窶(みつ)れてもあるか
 今折芳香之 花橘貫縷為珠串 如此手向而 所將饋贈吾妹者 可為無恙或窶哉
佚名 1967

「花橘(はなたちばな)を 玉(たま)に貫(ぬ)き」,橘花之瓣,甚為零散,故當自蕾採取,貫之於絲。
「贈(おく)らむ妹(いも)は」,「贈らむ」之主詞乃作者,「む」表意志。一般對話者之意志限於文末,而此為例外。
「窶(みつ)れ」,疲憊。

1968 【承前,十首第三。】
 霍公鳥 來鳴響 橘之 花散庭乎 將見人八孰
 霍公鳥(ほととぎす) 來鳴響(きなきとよ)もす 橘(たちばな)の 花散(はなぢ)る庭(には)を 見人(みむひと)や誰(たれ)
 杜鵑霍公鳥 飛來迴繞啼鳴響 陣陣飄芳香 花橘零落此庭間 孰人將可與共賞
佚名 1968

「花散(はなぢ)る庭(には)を」,如3348「波奈治良布(はなぢらふ=花散らふ)」、4092「播奈治流等吉(はなぢるときに=花散る時に)」,採連濁形。備齊主語、述語之連體修飾格易採用連濁。
「見人(みむひと)や誰(たれ)」,是誰能見之?言下之意表示應當就是你能見得。要約對方之曲。

1969 【承前,十首第四。】
 吾屋前之 花橘者 落爾家里 悔時爾 相在君鴨
 我(わ)が宿(やど)の 花橘(はなたちばな)は 散(ち)りにけり 悔(くや)しき時(とき)に 逢(あ)へる君(きみ)かも
 吾宿屋前之 所生花橘既凋零 在此散華兮 心中唏噓悔慨時 方得相逢吾君矣
佚名 1969

「悔(くや)しき時(とき)に 逢(あ)へる君(きみ)かも」,「悔し」為後悔自己作了或未作之心情。對方來時,花橘已謝。並非責難對方遲來,乃是懊惱自己未積極邀約。
與1492或為贈答關係。