補給物資、万葉集試訳

■補給物資

万葉集試訳

2075 【承前,九八七十。】
 人左倍也 見不繼將有 牽牛之 嬬喚舟之 近附徃乎【一云,見乍有良武。】
 人(ひと)さへや 見繼(みつ)がずあるらむ 彥星(ひこほし)の 妻呼(つまよ)ぶ舟(ふね)の 近付行(ちかづきゆ)くを【一云(またにいふ)、見(み)つつ有(あ)るらむ。】
 吾度眾蒼生 豈有不予注視哉 彥星牽牛之 喚妻之舟渡銀漢 近寄向案欲逢者【一云,吾度眾蒼生,必然凝神不轉瞬。】
佚名 2075

「人(ひと)さへや 見繼(みつ)がずあるらむ」,此云不只織女觀望著牛郎渡銀河,天下眾人亦仰望觀之。
「妻呼(つまよ)ぶ舟(ふね)の」,「妻呼(つまよ)ぶ」於此表求婚。
「見(み)つつ有(あ)るらむ」,第二句之異傳。第二句採反語疑問法,此則為單純疑問。

2076 【承前,九八八一。】
 天漢 荑乎早鴨 烏珠之 夜者闌爾乍 不合牽牛
 天川(あまのがは) 荑(せ)を早(はや)み哉(かも) 烏玉(ぬばたま)の 夜(よ)は更(ふ)けにつつ 逢(あ)はぬ彥星(ひこほし)
 蓋是銀漢之 天河川荑湍急哉 漆鄢烏玉之 七夕此宵夜將更 遲遲未得逢牛郎
佚名 2076

「荑(せ)を早(はや)み哉(かも)」,み句法之疑問條件語。
「夜(よ)は更(ふ)けにつつ」,類聚古集等亦作「夜(よ)は明(あ)けにつつ」。

2077 【承前,九八八二。】
 渡守 舟早渡世 一年爾 二遍徃來 君爾有勿久爾
 渡守(わたりもり) 舟早渡(ふねはやわた)せ 一年(ひととせ)に 二度通(ふたたびかよ)ふ 君(きみ)に有(あ)ら無(な)くに
 船頭渡守矣 速速榜舟渡此河 遙遙一年間 無緣再渡復往來 逢荑唯在此良宵
佚名 2077

「渡守(わたりもり) 舟早渡(ふねはやわた)せ」,織女對船頭所訴之語。
「二度通(ふたたびかよ)ふ 君(きみ)に有(あ)ら無(な)くに」,一年只有七夕能渡銀河,無由往來二遍。

2078 【承前,九八八三。】
 玉葛 不絕物可良 佐宿者 年之度爾 直一夜耳
 玉葛(たまかづら) 絕(た)えぬ物(もの)から 小寢(さぬ)らくは 年渡(としのわたり)に 唯一夜(ただひとよ)のみ
 玉葛珠蔓兮 其蔓雖長無絕斷 然顧逢荑者 漫漫一年光陰渡 唯有一夜得相寢
佚名 2078

「玉葛(たまかづら)」,「絕(た)えぬ」之枕詞。於此用於修飾牛郎、織女之感情雖深,一年卻只能有一夜之逢荑。
「年渡(としのわたり)に」,渡過一年。

2079 【承前,九八八四。】
 戀日者 食長物乎 今夜谷 令乏應哉 可相物乎
 戀(こ)ふる日(ひ)は 日長(けなが)き物(もの)を 今夜(こよひ)だに 乏(とも)しむべしや 逢(あ)ふべき物(もの)を
 此身苦相思 焦於戀慕日已久 唯願在今夜 莫仍故作令心焚 在於當逢此宵間
佚名 2079

「日長(けなが)き物(もの)を」,日數之多。
「乏(とも)しむべしや」,「乏(とも)しむべしや」,「乏しむ」乃自「乏し」衍生之下二段動詞。此為令人感到不足之意。
苦等一年,終得相逢,然對方卻如慢郎中,心焦如焚所詠。類歌2017。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m10.htm#2017

2080 【承前,九八八五。】
 織女之 今夜相奈婆 如常 明日乎阻而 年者將長
 織女(たなばた)の 今夜逢(こよひあ)ひなば 常如(つねのごと) 明日(あす)を隔(へだ)てて 年(とし)は長(なが)けむ
 牛郎織女之 一旦今夜短相逢 嗚呼如常矣 自於明日復相隔 相去一水嘆年長
佚名 2080

「織女(たなばた)の」,此云牛郎、織女二星。
「明日(あす)を隔(へだ)てて」,此云以明日為堺、段落。(又是一年漫長地等待。)

2081 【承前,九八八六。】
 天漢 棚橋渡 織女之 伊渡左牟爾 棚橋渡
 天川(あまのがは) 棚橋渡(たなはしわた)せ 織女(たなばた)の い渡(わた)らさむに 棚橋渡(たなはしわた)せ
 銀漢天之川 權設棚橋以為渡 欲令織女之 越彼雲漢之無涯 權設棚橋以為渡
佚名 2081

「棚橋渡(たなはしわた)せ」,以木板如架棚般權設之簡易渡橋。用法與假僑相類。『古今和歌集』739有「待てと云はば 寢てもゆかなむ 強て行く 駒の足折れ 前の棚橋」https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/kokin/kk14.htm#739
「織女(たなばた)の い渡(わた)らさむに」,本歌與中國七夕詩同,採織女渡河而來之說。

2082 【承前,九八八七。】
 天漢 河門八十有 何爾可 君之三船乎 吾待將居
 天川(あまのがは) 川門八十有(かはとやそあ)り 何處(いづく)にか 君(きみ)が御舟(みふね)を 我(あ)が待居(まちを)らむ
 銀漢天之川 河門數繁有八十 妾當於何處 待君御舟渡河來 引領相迎赴良宵
佚名 2082

「川門八十有(かはとやそあ)り」,川門乃可以越渡之渡口。此云渡口數多,該在何處等待牛郎來訪。

2083 【承前,九八八八。】
 秋風乃 吹西日從 天漢 荑爾出立 待登告許曾
 秋風(あきかぜ)の 吹(ふ)きにし日(ひ)より 天川(あまのがは) 荑(せ)に出立(いでた)ちて 待(ま)つと告(つ)げこそ
 夫自立秋之 秋風瑟瑟拂日起 妾身出銀漢 立於河荑待良人 此事還願代相告
佚名 2083

「秋風(あきかぜ)の 吹(ふ)きにし日(ひ)より」,立秋以來。和歌之慣用句。亦見於1523。 https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m08.htm#1523
「待(ま)つと告(つ)げこそ」,「こそ」乃希求語氣。此擬織女之立場,告於度守轉告牛郎自身已於河岸久待多時。

2084 【承前,九八八九。】
 天漢 去年之渡湍 有二家里 君之將來 道乃不知久
 天川(あまのがは) 去年渡荑(こぞのわたりぜ) 荒(あ)れにけり 君(きみ)が來坐(きま)さむ 道知(みちのし)ら無(な)く
 銀漢天之川 去年所以渡荑者 水荒象洶湧 今年君之可將來 水路當何不知矣
佚名 2084

「去年渡荑(こぞのわたりぜ) 荒(あ)れにけり」,以織女視點闡述如2018「去年渡で 移ろへば」之情境。https://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m10.htm#2018
「君(きみ)が來坐(きま)さむ 道知(みちのし)ら無(な)く」,無法得知牛郎今年可藉何處渡河而來。

2085 【承前,九八九十。】
 天漢 湍荑爾白浪 雖高 直渡來沼 待者苦三
 天川(あまのがは) 荑荑(せぜ)に白波(しらなみ) 高(たか)けども 直渡來(ただわたりき)ぬ 待(ま)たば苦(くる)しみ
 銀漢天之川 雖然處處湍荑間 洶湧駭浪高 吾不畏險直渡來 以其苦待誠難耐
佚名 2085

「高(たか)けども」,或訓「高(たか)けれど」,凡故此類甚稀,遂從「高けども」之說。
「直渡來(ただわたりき)ぬ」,「直(ただ)」乃筆直。難忍等待,遂不畏大浪直渡而來。

2086 【承前,九八九一。】
 牽牛之 嬬喚舟之 引綱乃 將絕跡君乎 吾之念勿國
 彥星(ひこほし)の 妻呼(つまよ)ぶ舟(ふね)の 引綱(ひきづな)の 絕(た)えむと君(きみ)を 我(わ)が思(おも)は無(な)くに
 牛郎彥星之 七夕喚妻扁舟間 引綱之所如 縱令海枯石爛時 無意斷我等情緣
佚名 2086

「引綱(ひきづな)の」,引舟之岡,帶出以下兩句之序文。
「絕(た)えむと君(きみ)を」,男女之絕緣以「斷」描述之。

2087 【承前,九八九二。】
 渡守 舟出為將出 今夜耳 相見而後者 不相物可毛
 渡守(わたりもり) 舟出(ふなで)し出(いで)む 今夜(こよひ)のみ 相見(あひみ)て後(のち)は 逢(あ)はじ物哉(ものかも)
 船頭渡守矣 速速榜舟出船行 唯有在今日 久別一年復相逢 而後無緣再晤哉
佚名 2087

「舟出(ふなで)し」,「舟出(ふなで)す」之連用形。
「逢(あ)はじ物哉(ものかも)」,ものかも為反語語句。

2088 【承前,九八九三。】
 吾隱有 楫棹無而 渡守 舟將借八方 須臾者有待
 我(わ)が隱(かく)せる 楫棹無(かぢさをな)くて 渡守(わたりもり) 舟貸(ふねか)さめやも 須臾(しまし)はあり待(ま)て
 若無妾所匿 楫棹之疇槳梶者 船頭渡守矣 豈將貸舟送君歸 須臾稍待惜夜短
佚名 2088

「我(わ)が隱(かく)せる」,織女不願牛郎歸去,遂藏匿楫棹。
「須臾(しまし)はあり待(ま)て」,あり表現在狀態之持續。

2089 【承前,九八九四。】
 乾坤之 初時從 天漢 射向居而 一年丹 兩遍不遭 妻戀爾 物念人 天漢 安乃川原乃 有通 出乃渡丹 具穗船乃 艫丹裳舳丹裳 船裝 真梶繁拔 旗芒 本葉裳具世丹 秋風乃 吹來夕丹 天河 白浪凌 落沸 速湍涉 稚草乃 妻手枕迹 大舟乃 思憑而 滂來等六 其夫乃子我 荒珠乃 年緒長 思來之 戀將盡 七月 七日之夕者 吾毛悲焉
 天地(あめつち)の 初(はじ)めの時(とき)ゆ 天川(あまのがは) い向居(むかひを)りて 一年(ひととせ)に 再逢(ふたたびあ)はぬ 妻戀(つまご)ひに 物思(ものおも)ふ人(ひと) 天川(あまのがは) 安川原(やすのかはら)の 蟻通(ありがよ)ふ 出渡(いでのわたり)に 赤土船(そほぶね)の 艫(とも)にも舳(へ)にも 船裝(ふなよそ)ひ 真梶繁貫(まかぢしじぬ)き 旗芒(はたすすき) 本葉(もとは)も微(そよ)に 秋風(あきかぜ)の 吹來(ふきく)る夕(よひ)に 天川(あまのがは) 白波凌(しらなみしの)ぎ 落激(おちたぎ)つ 早荑渡(はやせわた)りて 若草(わかくさ)の 妻(つま)を卷(ま)かむと 大船(おほぶね)の 思褚(おもひたの)みて 漕來(こぎく)らむ 其夫子(そのつまのこ)が 新(あらたま)の 年緒長(としのをなが)く 思來(おもひこ)し 戀盡(こひつ)くすらむ 七月(ふみつき)の 七日夕(なぬかのよひ)は 我(われ)も悲(かな)しも
 早自遠神代 天地乾坤初判時 銀漢天之川 相向盈盈一水間 脈脈一年間 相隔不得逢二度 慕妻苦相思 愁嘆渡日牛郎矣 迢迢天漢間 天安河原川岸邊 蟻通繁往來 出渡埠頭荑口間 朱塗赤土舟 無論船艫或船舳 施艤裝為備 真梶繁貫通楫槳 幡薄旗芒之 本葉隨拂微搖曳 蕭瑟秋風之 徐徐吹來此七夕 銀河天之川 發船乘風凌白浪 落激水險駭 越渡早荑不顧身 親親猶若草 欲枕妻手共纏綿 猶乘大船兮 其心思褚憑此情 如此榜來哉 其夫牛郎彥興矣 日新月亦異 年緒且長時日久 相思隔一水 久戀今日可晴哉 立秋七月之 七日之夕此宵者 吾等仰空亦傷悲

「天地(あめつち)の 初(はじ)めの時(とき)ゆ」,將牛郎織女傳說與天地開闢神話結合之形,表其源自亙古。原文「乾坤」乃基於易掛之用字,別為「天地」。
「物思(ものおも)ふ人(ひと)」,此云牛郎。
「安川原(やすのかはら)の」,日本神話之天安河原。中日神話融合之思想。
「出渡(いでのわたり)に」,岸上突出之石磯。
「赤土船(そほぶね)の」,與朱塗船同,表幻想之華麗裝飾。
「船裝(ふなよそ)ひ」,艤裝以準備出航。
「艫(とも)にも舳(へ)にも」,「艫、舳」各為「船尾、船首」。
「真梶繁貫(まかぢしじぬ)き」,表做好出航準備之慣用語。
「旗芒(はたすすき)」,芒穗如旗幟般飄逸之狀。
「本葉(もとは)も微(そよ)に」,「本葉」與「末葉」相對,「微(そよ)」為受風吹動之擬聲語。
「白波凌(しらなみしの)ぎ」,「凌(しの)ぐ」表排開浪以前進之狀。
「落激(おちたぎ)つ」,水之泵流之狀。
「若草(わかくさ)の」,妻之枕詞。年輕而充滿活力之意。
「大船(おほぶね)の」,思褚之枕詞。
「漕來(こぎく)らむ」,來字以織女之位置為中心。
「其夫子(そのつまのこ)」,子為愛稱,の表同格。
「新(あらたま)の」,年、月之枕詞。表年月循環、萬象一新。
「年緒長(としのをなが)く」,以絲緒比喻長長之一年。
「我(われ)も悲(かな)しも」,「我」指如作者般在地上仰望星空,思緒馳騁牛郎織女傳說之人。

2090 反歌 【承前,九八九五。】
 狛錦 紐解易之 天人乃 妻問夕敘 吾裳將偲
 高麗錦(こまにしき) 紐解交(ひもときかは)し 天人(あめひと)の 妻問(つまど)ふ夕(よひ)ぞ 我(われ)も偲(しの)はむ
  今夜是何夜 相解赤紐高麗錦 天人牛郎之 訪妻之宵七夕矣 吾等仰空亦騁思
佚名 2090

「高麗錦(こまにしき)」,赤地錦之類。高麗或云高句麗,日本古代受其影響匪淺,舶來品之高級工藝品多冠以高麗之名。於茲亦用以添筯七夕傳說之異國性。
「天人(あめひと)の」,此云牛郎星。

2091 【承前,九八九六。】
 彥星之 河荑渡 左小舟乃 得行而將泊 河津石所念
 彥星(ひこほし)の 川荑(かはせ)を渡(わた)る さ小舟(をぶね)の 得行(えゆ)きて泊(は)てむ 川津(かはづ)し思(おも)ほゆ
 故思牛郎之 彥星所以渡川荑 扁扁小舟矣 其可得行將泊哉 每念銀漢川津者
佚名 2091

「得行(えゆ)きて泊(は)てむ」,「得(え)」乃表可能之副詞。中古以降多伴隨取消語句,上代語則未必。

2092 【承前,九八九七。】
 天地跡 別之時從 久方乃 天驗常 定大王 天之河原爾 璞 月累而 妹爾相 時候跡 立待爾 吾衣手爾 秋風之 吹反者 立座 多土伎乎不知 村肝 心不欲 解衣 思亂而 何時跡 吾待今夜 此川 行長 有得鴨
 天地(あめつち)と 分(わか)れし時(とき)ゆ 久方(ひさかた)の 天印(あまつしるし)と 定(さだ)めてし 天川原(あまのかはら)に 新(あらた)まの 月重(つきかさな)りて 妹(いも)に逢(あ)ふ 時候(ときさもら)ふと 立待(たちま)つに 我(わ)が衣手(ころもで)に 秋風(あきかぜ)の 吹反(ふきか)へらへば 立(た)ちて居(ゐ)て 方策(たどき)を知(し)らに 五臟六腑(むらきも)の 心迷(こころいさよ)ひ 解衣(とききぬ)の 思亂(おもひみだ)れて 何時(いつ)しかと 我(あ)が待(ま)つ今夜(こよひ) 此川(このかは)の 流(なが)れの長(なが)く 在(あ)りこせぬかも
 早自遠神代 天地乾坤初判時 遙遙久方兮 天印嚴令不得犯 太占神所定 銀漢天安川原間 日新更異兮 累月苦待光陰逝 心懸吾愛妻 每俟與其相逢時 孤影銀漢邊 吾人衣袖當秋風 瑟瑟吹悽悽 反覆吹拂每飄盪 坐立皆難安 苦無方策手無措 五臟六腑之 此情迷惘心絮亂 解衣之所如 千頭萬絮錯縱膻 將待至何時 吾人引領盼今宵 能猶此川之 源遠流長不嘗絕 兩相廝守莫天明
佚名 2092

「定(さだ)めてし」,主語為天帝,所定下之、決定之。「てし」原文「大王」者表「王羲之」而為「手師」之借訓。世稱羲之為大王,獻之為小王。
「時候(ときさもら)ふと」,等候時機,等待相逢之七夕。
「立(た)ちて居(ゐ)て」,坐立難安。
「五臟六腑(むらきも)の」,心之枕詞。
「心迷(こころいさよ)ひ」,原文「心不欲」者,表示無法恣情。
「解衣(とききぬ)の」,「思亂(おもひみだ)れ」之枕詞。
「流(なが)れの長(なが)く 在(あ)りこせぬかも」,希望今夜能如銀河般源遠流長。